2010年10月18日月曜日

秀吉の朝鮮出兵(20101018)


  14日、男は48年間連れ添った女房と一緒に参議院予算委員会の様子をテレビで観た。女房は放送大学を2回卒業していて、それぞれ学位記を取っている。しかも今もなお別の専攻で勉強している。福祉や教育関係はもとより、社会や政治問題にも関心が深い。今日は自民党の山本一太議員が質問するというのでその状況を観るのを楽しみにしていたのである。山本議員は菅総理や官邸の危機管理意識について追及していた。

  中国の漁船による尖閣諸島問題が起きていた矢先にベルギーで開かれたASEMの最終日の行事が終わり会場を出たとき‘たまたま廊下で顔を合わせた’という温家宝中国首相と菅総理が、廊下にあったソファーに座って‘口をきいた’ということについて、山本議員は菅総理や仙石官房長官に鋭く迫っていた。ASEMとは、ASEAN10か国に、日・中・韓・インド・モンゴル・パキスタンとASEAN事務局及びEU27か国と欧州委員会が参加するアジア欧州会合(ASEM)のことである。

  中国側はそのときの‘口利き’談義を‘会談’と言わず、‘交談’とし、しかも、温家宝首相は「钓鱼岛是中国固有领土」と言ったと報道した。中国の言う钓鱼岛は尖閣諸島のことである。彼らはその辺りに石油資源が埋蔵されていることを知り、1970年からそこを自国の領土であると公然と主張し始めたのである。

    中国の実務官僚は元軍人が多いと言う。もともと愛国心の強い人たちである。彼らは軍という組織体が持っている一貫不変の戦略的原則のもと、日本側の憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し云々」など無視して、「相手が弱い」と観れば「愛国的」に国際社会に向かって公然と紛争を仕掛けてくるのである。

    温家宝首相は英語通訳のほか日本語通訳も同行していた。それに対して菅総理は英語通訳しか同行させていなかった。我が国の官僚は軍隊経験(自衛隊経験)が全くない連中ばかりである。危機管理がまったくできていない。老人はこのことを嘆き続けている。

    戦国時代を経て誕生した豊臣政権は、秀吉自らも含めて当時の‘軍人’たちが政権の中枢にいた。秀吉はスペインの謀略を直ちに見抜き迅速に対処した。それはスペインがシナを征服することになれば、そのシナの柵封下にある朝鮮も征服される。ならば、自ら朝鮮を征服し、この日本を守ろうと考えたのである。(以下、前掲の本から引用)

    コエリョは1585年3月3日付のフィリピン・イエズス会布教長宛て手紙で「もしも国王陛下の援助で日本66ヵ国全てが改宗するに至れば、フェリペ国王は日本人のように好戦的で頭のよい兵隊を得て、一層容易にシナを征服することができるであろう」と書いている。 

    秀吉はコエリョが秀吉に明(当時のシナ(今の中国)の王朝の国)への軍隊派遣を要請した直後の1585年5月4日、コエリョに対して逆に自らの明征服計画を披歴し、ポルトガルの軍艦2隻を所望した。当時、ポルトガルはスペインの支配下にあった。

    秀吉は朝鮮出兵前年の天正19年(1591年)、ゴアのインド副王(ポルトガル)とマニラのフィリピン総督(スペイン)に降伏勧告状を突き付けて、コエリョを恫喝している。