2010年12月1日水曜日

穏やかな日々 (20101201)

  一度行楽に出かけると、その後、写真の整理をしなければならない。「・・ねばならない」と何か公的な義務があるわけではない。しかし男は自分の性分として、行楽に出かけて撮って来た写真は、その都度きちんと整理しておかなければ気が済まないのである。

  男と女房がそれぞれ撮った写真は先ず大きなテレビの画面で観賞する。このとき面倒臭いのは、カメラが違うとカメラとテレビをつなぐケーブルが異なることである。テレビのビデオ入力端子は黄色である。ここにケーブルの一端を差しこむ。問題はケーブルの反対側、つまりカメラに接続する端子の構造がカメラによっては違うことがあることである。デジタルカメラのケーブルは一方がUSBと黄色のビデオ端子であるが、カメラにつなぐ方はカメラによっては型が違うのである。しかしCanonは共通仕様で問題ない。

  今年はいろいろあって花の写真は殆ど撮っていない。居間に飾ってある花の写真は去年撮ったものである。先日紅葉狩りに行ったとき何枚か良い写真が撮れていた。何れも女房が撮ったものばかりである。それをA4サイズや2Lサイズで印刷してやった。女房は自分が撮った風景の写真がA4サイズで印刷されたものを見て、「これは綺麗だねえ。11月に飾る写真が無かったの」と大いに喜ぶ。女房は早速写真をパネルに収めて居間や玄関や自分の部屋などに飾った。男は自分の部屋にはそのような写真を飾る気はない。

    女房が撮った写真の中には、ミレーの絵のような印象的な風景が納められている。パナマ帽のような帽子をかぶっている年老いた男性を、伴侶か娘らしい女性が支えながら歩いている後姿が風景の中に小さく写っている。遠方に何人かの人がいる。たまたま美しい紅葉をカメラに収めたいと欲して撮った写真がミレーの絵のような風景になっている。素晴らしい!男は何れの日にかこの写真をもとに、一枚の絵を描きたいと思った。

  折角撮って来た写真は保存のためコンピュータに取り込む。そして男や女房が写っている写真は別のフォルダーに移す。そして写真ソフト、男はPhoto Studioというものを使っているが、それを起動して写真を拡大して評価し、良い写真だけ残し、後はゴミ箱に捨てる。男や女房が写っている写真については上半身を切り取った写真を作り、名前をつけて別のフォルダーに移す。

  何故そのような面倒なことをしているかというと、フォルダーにきちんと名前を付けておけば、後に写真を例えばカレンダー作成のため使用する場合も見つけやすい。上半身の顔写真は、何にでも利用することができるからである。勿論それは男又は女房があの世に行くときの葬式にも使うことができる。実はそれが主目的であるが・・。

  男が写真の整理をし終わる頃、女房が「甘酒ができましたよ」と呼んでいる。男は作業を中断して居間のテーブルにつく。息子の嫁が創作した湯呑茶碗に甘酒が入っている。まだ熱い。別の器に生姜の擂りおろしが入っている。小さじですくい熱い甘酒の中に入れ、かき回して、少しずつ口に含みながら頂く。身体も心も温まるような気分になる。

  サイドボードの上に数鉢のシクラメンが咲き誇っている。CDコンポから老妻が好きな南こうせつの「今日は雨」やかぐや姫の「なごり雪」などの音楽が流れている。男と女房の穏やかな日々の一コマである。