2011年4月4日月曜日

オンラインニュース記事から (20110404)

 此の度の東日本大震災の情報など各種情報の内容や伝え方については、メディアによる違いが大きい。インターネット・オンラインでNHK、読売新聞、朝日新聞、産経新聞、琉球新報、自衛隊の朝雲新聞などを調べてみた。

 結論から言うと、今の時代、日本国民は、特定のメディアによる情報だけでものごとを判断するのではなく、各種主要メディアの情報を入手して判断すべきであるということである。我が家もそうであるが、普通一般の家庭では、新聞は特定の新聞社の新聞を取っている。朝日新聞や産経新聞や琉球新報だけをとっている家庭では、どちらかと言えば偏った情報しか得ていないと思う。朝雲新聞は、自衛隊機関誌であるから別扱いである。

 以下の記事は、msn産経ニュースの4月3日付の記事の引用である。

 “米軍準機関紙「星条旗新聞」によると、空軍第320特殊戦術飛行中隊は、仙台空港復旧のためパラシュート降下という度肝を抜く作戦を敢行した。その後、自衛隊とともに海兵隊が重機を使い、3月20日には「仙台空港の約80%を復旧させた」(コゼニスキー海兵隊大佐)というから、実戦を経験した部隊はやることが違う。”

 一方、琉球新報では、他の新聞はあまり取り上げていないが、駐留米軍による被害に関する記事が多い。そういう中、今日(4月3日付)で、“『薩摩藩の奄美琉球侵攻四百年再考』 単なる「過去」ではない歴史”という タイトル次の記事があった。

 “09年は、薩摩藩による琉球侵攻から400年に当たり、沖縄県・鹿児島県の各地でシンポジウムが開催され、徳之島のシンポジウムもその一つとして開催された。薩摩藩の琉球王国への侵略戦争という構図の中で、埋没しかねない「奄美」という視角を強く意識した本シンポジウムを記録した本書の持つ問題意識や検討した成果は大きい。

 例えば薩摩支配下の奄美を中華帝国と結び付いた琉球との関わりで取り上げた金城正篤氏・弓削政己氏の分析からは、奄美諸島を薩摩藩の「直轄地」という性格のみではなく、中国・琉球・日本関係の中で捉えるべきであるという認識に至る。奄美諸島の歴史を日本(幕藩制国家)と琉球王国、さらに中華帝国といった東アジア規模で考えることで新しい近世奄美の歴史像を構築することができるのではないだろうか。ところで、シンポジウム開催に当たって近世以降の奄美に対する歴史観が変化することを危惧して「時期尚早」(51ページ)であるという意見もあったようである。400年の歴史が私たちにとって単なる「過去」ではないことを示していよう。”

 われわれは、奄美・沖縄は、日本の一地方であり、薩摩による支配は「過去」のことであると思っている。ところが、そのことが、沖縄の一部の人たちにとって気になっているようである。その延長線上に、普天間基地移設の問題、鳩山氏の「東アジア共同体」構想があるように思う。徳之島は奄美群島の一つで、普天間基地移設問題で話題になった。

 沖縄は日本国の一行政単位である。人びとの交流・移住の密度も非常に濃い。今さら、新たな歴史像を構築する必要は全くない。この関係者たちは、何を意図しているのか?

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