2011年4月13日水曜日

緊急対処の仕方について日本とアメリカの違い(20110413)

 日本の軍隊(=自衛隊)は、常に「有事即応」の態勢にある。未曾有の巨大地震が発生したとき、自衛隊は直ちに出動した。特に民主党政権になってから、政府は凡庸であっても自衛隊は‘同盟軍’同志ずっと緊密な関係を維持してきた。その関係で在日米軍も直ちに出動し、自衛隊と協同して災害の救援・救助・復旧支援に最大規模の人員・装備・資材を投入してくれた。これは日米軍事協同訓練の成果である。

軍隊で組織的訓練を受けた者は、有事即応のことが身体で理解できている。しかし軍隊の経験のない者は、それを頭では判っていても体ではなかなか判らないようである。

 大手新聞各紙は、此の度の大震災についてそれぞれの思想で記事を出している。被災地における自衛隊や米軍の活動について良く伝えている新聞もあり、なるべく控え目に伝えようとしている新聞もあり、殆ど伝えていない地方新聞もある。

 今日の読売新聞に以下のような記事があった。有事即応の対処について、日米がどう違うのか判る。(下記引用文は、新聞記事の文章の前後関係で、一部語句を前後させている。)

 ① 1979年に起きたスリーマイル島原発事故直後に、(カーター大統領は情報源を)当時の原子力規制委員会(NRC)原子炉規制部長ハロルド・デントンに一元化するように指示し、現地対策本部前のトレーラー内に、デントンとホワイトハウス、知事、NRCを結ぶ特設電話を設けさせた。

② デントンは、それまで一度しかなかった記者会見を連日開き、知事とも頻繁に連絡を取った。

③ 原発には水素爆発が繰り返される恐れが残っていた。格納容器から水素を抜く過程では、放射線が広がる。鋼鉄製ブロックで遮断する必要があった。(軍施設に保管されていた鋼鉄製ブロックを持ち出すため)デントンは回りくどい手続きを求められていた。

④ 混乱を和らげたのは、デントンとカーター大統領の連係プレーだった。

⑤ (カーター大統領はかつて)海軍将校として原子力潜水艦開発にかかわり、カナダで1952年に起きた実験炉の冷却水漏れ事故の処理にも参加した。

⑥ カーター大統領は、スリーマイル島原発事故の実態を即座に理解していたという。

一方で、被災地への救援活動について、次のような記事がある。緊急対処の仕方について日本とアメリカとでは大きな違いがある。

① ある岩手県幹部は、「省庁の政務三役に要望すると『分かりました』と受けてくれるのに、実際には全く計画が動いていないケースも多い。省庁の実務担当者と直接やりとりしたいのだが・・・」と民主党政権が掲げる「政治主導」に苦言を呈した。

② 官僚の不満は強い。ある省庁の幹部は「政務三役からの支持への対応で手いっぱいになってしまい、我々が主体的に対応する余裕がなくなった」と語る。

 復興構想会議が立ちあがったが官僚OBは活用せず、会議の委員として岩手県知事を除くと官僚OBはいない。読売新聞の記事には、“「政策の実現性について省庁との調整もなく、言いっ放しに終わる可能性がある」(政府関係者)と懸念する声も出ている。”とある。

 菅首相が自賛するリーダーシップは、カーター大統領に遠く及ばない。

0 件のコメント: