2011年4月16日土曜日

文藝春秋4月特別号(20110416)
 
 文藝春秋4月特別号には、「これが私たちの望んだ日本なのか」という125人の方々の投稿記事が載っている。その中に、池田武邦という、大正13年生まれ、昭和18年海軍兵学校卒業、戦後東京帝大を出られた方の記事があった。

 彼は沖縄海上特攻の一員として昭和204月に第2水雷戦隊旗艦矢矧の第4分隊長兼測的長をしていたとき、沈没し海に投げ出され一命をとりとめた方である。600人を超える同期生の半数以上が戦死しているその中で、マリアナ沖、レイテ沖、沖縄と三つの海戦を経験したのは彼一人だけであるという。

 その彼が、広島県大竹で潜水学校の教官をしていたとき、学校の周りで遊ぶ子供たちの姿を見て、将来はどうなるのかと不安に苛まれていたとき終戦となり、正直ほっとしたという。自分は軍人であるので死ぬことは当然であったが、子どもたちの未来は守りたかったと思っていた。それは、彼が21歳のときであったという。
 私が、ここで敢えて書き留めたいのは、彼の次の述懐である。「である」調で引用する。

“終戦後、日本の教育はアメリカによってがらりと変わった。戦争は悪いことであり、その戦争に参加した軍人も否定されるべき存在であった。命を懸けて特攻を行う日本人の強靭な精神が恐ろしかったのだろう。アメリカは、教育によって日本が強さを取り戻すことを徹底的に防ごうと考えたわけである。”

 “戦後教育では、「自分を大事にする」ことばかりが強調され、公のため、国のためという言葉は禁句とされた”

 “私の息子は昭和28年生まれ。今の日本を動かしている政治家の多くが同世代である。彼らもまた戦後教育にどっぷり漬かり、口にする言葉も「ことなかれ主義」ばかりである。命を懸けて国の為に働こうという気概など何一つ感じられない。”

 菅首相は昭和21年生まれという。此の度の大災害遭遇1ヶ月目の節目に「戦後の日本を築き上げてきた方々に感謝するとともに、是非復興させて我々の子孫に良いものを遺さなければならない。」という趣旨の発言をした。その言葉の中に「戦前」は無かった。

 法華経というお経の中に、「仏はいろいろな方便を使って衆生を救う」という言葉ある。物事には面があれば裏がある。良いことがあれば悪いことがある。この度の大災害の経験を、よく生かすということが、仏(ブッダ)から求められている。

 「自分を大事にする」政治家たちを選んだのは、我々国民である。保身に走る官僚たちをのさばらせたのは、そのような政治家たちである。皆、同罪である。

 今、求められているのは、武士道の「誠」の精神である。公の為、国の為、自己を捧げる精神である。今、この日本中で、その精神がごく自然に実践されている。

 これは、菅首相が口にしなかった「戦前」に、国の為身を捧げた何百万人という方々の、「あの世」からの思いが「この世」で実現している現象である。私は、純粋にそう思っている。菅首相は退任し、靖国神社、明治神宮に是非参拝して頂きたい。

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