2011年6月3日金曜日

黄昏時の散歩 (20110603)

 たまにこの家に帰ってくるといろいろしなければならないことが多い。風呂の水栓の鎖が駄目になったので新しい丈夫な鎖を買ってきて取りつけたり、居間の蛍光灯が駄目になったのでグローランプと一緒に新しい物と取り換えたり、台所の換気扇が駄目になったので新しい物と取り換えたり、短い滞在期間内に男は精力的に働き回っている。そんな一日を送った日の夕方、ケアマネージャーのAさん帰宅途中立ち寄ってくれた。母の介護のことで女房といろいろと話し合っている。

 夕食を終えた後女房が「散歩しよう」という。今の時期夕日が沈むのは遅い。男と女房は黄昏時に水路に沿った小道を歩いた。初めは舗装された道であったがそのうち昔ながらの自然の道になった。「蛇が出てきそう」と女房はその先に進むのを嫌がったが男は「大丈夫だよ、人が歩けば蛇の方から逃げるさ」と言って草も生えているその道を進んだ。

 道の下の幅2メートルほどの水路は勢いよく流れている。「危ないね、落ちたら流されてしまいそう」と言う。男は「大丈夫だよ、この辺の子供は慣れているさ」と言いながら自分が子供の頃そのような水路で遊んでいたことを想い出していた。男は子供の頃夕食が終って汗を流すため流れが結構早い用水路に入り流れに沿って平泳ぎで下ったものである。時々上流から蛇が首を上げてくねくねこちらに向かって泳いでくることもあった。

 水を張った田圃で蛙がしきりに鳴いている。鳴いている蛙を見つけようと傍によって見るのだが見つからない。昔男が子供の頃やったことがあったように土をこねあげて作ったあぜが出来ていて水を引く準備が出来ている田圃がある。見るとその田圃の一部に鍬を入れたあとがある。其処はこれから耕運機を入れる準備が出来ている田圃だろう。田圃の間の道をかなり歩くと家が5、6軒ある集落に着いた。まるでお城の石垣のように大きな石を積んだ高台に瓦ぶきの大きな立派な家が建っている。石垣の角は緩やかな曲線になっていてまるで史跡の石垣のようである。石には苔が生えていて如何にも古い石垣のようである。しかしその石垣には地下水を逃がす樹脂製のパイプが規則的に配置されている。このことからその石垣は古くないことが分かる。多分この家は古い旧家の資産家なのだろう。

 その石垣の下の道を通り山の方に向かう。遠くにお寺が見える。其処は男の亡父の墓がある寺である。其処まで行くと日が暮れて暗くなってしまいそうなので途中で右折し帰路につく。途中でどうも農家の人でない人が家庭農園としているらしい一角がある。トマトを2、3本、茄子を2,3本と幾つかの種類の野菜の苗を植えてある。その一角のすぐ下は幅1メートルくらいの水路で水が勢いよく流れている。男は「これは多分町営住宅などに住んでいる人が作っていると思うよ。水はつるべで汲み上げて撒くのだろう」と言うと、女房は「水の勢いで落としたつるべに引っ張られて落ちてしまいそう」と言う。男はそうかもしれないな、俺は大丈夫だが、と思った。

 赤い夕陽が山陰にまさに沈もうとしている。夕暮れの農道を歩きながら、男は「この風景は俺の原風景だ」と言ったら、女房も「私の原風景も同じよ」と言った。