2011年6月1日水曜日

蓮華草の田圃(20110601)

 男というものは自分の子供の頃があることを別に置いて、年老いた愛する妻の子供の頃のことを想像して一層その妻のことを愛おしく思うものなのかもしれない。男は子供の頃家に農耕用の牛を飼っていたので、竹で編んだ篭を背負ってその牛の餌にする草を刈りに出かけていたものである。女房も子供の頃同じようなことをしていたという。

 昨日は快晴で温暖な日であった。男と女房は道の両脇にのどかな里山の田園が広がっている舗装された農道をゆっくり散歩した。丁度田植えの時期であり、あちこちで小型トラクターがゆっくり移動しながら水が張った田圃を耕している。男はそのような農業用の自動機械を操作した経験がないので、農家の人がトラクターに乗って田圃を耕す様子を見て農家の人たちは凄いなと思った。人生に‘もし’はないが、もし自分が若い時から農業に従事していたなら、自分もその人と同じようなことをしていることだろうと思った。

 村に入るとその道路わきに牛が10頭ぐらい飼われている牛小屋があった。牛たちがこちらを向いている。男の呼びかけに牛が応えることを若干期待しながら、男は牛に向かって「ンもー」と言ってみた。ふと原発被害に遭っている福島の農家の人たちのことを思った。避難を余儀なくされている人たちはこのような牛を見殺しにしなければならなかったのである。「本当に可哀そうだよね」と、ぽつんと女房がつぶやいた。農業の経験も無く都会暮らしをしてきた政治家たちに避難した農家の人たちの心の痛みがわかるだろうか。

 4歳の時以来男の家の後妻に入った母親と別れ、大家族の末娘っ子のように可愛がられて育った女房は「わたし学校から帰ってくると裏のCちゃんと一緒に篭にかまとみかん一つ入れて田圃に生えていた蓮華草を刈りに行っていたわ。Cちゃんは学年が二つ上だった。蓮華の花がいっぱい咲いている田圃を見つけてその中に入り、しゃがみこんで草を刈ったものよ。疲れてくると‘みかんを食べよう’と言って一緒にみかんを食べていた。あの頃、田圃の蓮華草は自然に茂っていると思っていたわ。あれは田圃の肥料にするため農家の人が種を蒔くんだって。この間叔母さんがそう言ってた」と昔の思い出を語る。その頃男の父親は教職に復帰して汽車で3時間ぐらいかかる遠方に赴任して行っていたため、家には父親も継母もいなかった。子供の頃の男と弟は祖父母に育てられていたのである。

そういうわけで男も子供の頃女房と同じようなことをしていた。蓮華草がいっぱい咲いているところでかまを水平に移動させ、刈った後が白っぽく変わるほど綺麗に刈ることを得意がっていた。田圃の持ち主から叱られたことはなかった。時には同じ村の友達とその田圃で野球ごっこをして遊んでいた。自分にもそのような頃があったことを脇において、女房が自分の子供の頃のことを語るのを聞いて「お前も苦労してきたな」と思う。男は「田圃の持ち主が何も言わなかったのは小さい女の子が二人牛の餌にする蓮華草をちょっとだけ刈り集めたとしても大した量にはならないと思っていたからさ」と女房に言った。多分一人前扱いされる中学生ともなれば「勝手に刈るな!」と怒鳴られたことだろう。

 男は女房と二人で里山の田園風景の中を散歩しながら、自分の人生を振り返っていた。