2011年6月6日月曜日

真っ赤な大きな沈む太陽(20110606)

 昨日も夕方になって里山の農道を散歩した。一日たつと稲作を終えた水田が多くなった。農道の両側の田圃でしきりに蛙が鳴いている。近づくとその鳴き声はぱっと止む。確かにここで鳴いていたと思うが蛙の姿は見つけられない。女房は「お昼だと姿は分かるが夜は暗いので見つけられない」とつぶやく。

 それでも赤べこと読んでいたいもりが何匹も水の中で這いつくばっているのがわかる。ちっと離れた田圃に青鷺が4、5羽居る。彼らはいもりや蛙などを見つけて食べるのだろう。ホタルはまだ出ていない。きっとこのあたりにはホタルが生息しているはずである。

今の時代の稲作は機械で行い、薬剤を入れて稲以外の草を枯らし、農薬を散布し稲の葉を食べる害虫を殺す。男が子供の頃の稲作とは全く違う。しかし稲の田圃が一面に広がり、水量が豊富な農水路が縦横に沢山あるこの地帯は、男が子供であった頃の風景と似ている。男が子供の頃、遠くの寺や神社が見通せた田園地帯はすっかり市街化されて昔の面影は全く無くなっているが、ここにはその頃の風景がある。

 男は女房に「お前は来世ではきっと素晴らしい人生になると思うよ」と言ったら、女房は「今の人生でも素晴らしいわよ」と言う。男は「これからは此処で花を育てるとか、花を観て回るとか、花の絵を描くとか、写真を撮って後でテレビに映し出して観賞するとか、これからこの地で楽しい思い出を沢山作ろう」と女房に提案した。女房はその提案を否定しなかったが「私が撮るのは風景でなくて花の写真だよ」と男にくぎを刺した。

そう話しているうちに家々がある一角まで歩いてきた。もう8時近くになっているのに灯りが点っている家は殆どない。ある家の庭で一台の小型トラックがあり、荷台の上で女性が水で荷台を洗浄している。女房が「これからご飯をつくるのだろうか」と言う。男は「多分誰かがご飯を作っていると思うよ」と言う。農家はこの時期朝から晩まで大変忙しい。男と女房はあたかも働く人たちの目を避けるように、こうして夜道を歩いている。そのつもりではないのだが、たまたま夕方になって運動のため散歩に出かけたのである。

農水路を挟んで小さな橋がかかっているところに、「カメラスポット」と書かれた看板が立っている。女房は「何だろうか」と言う。男は「さっき大きな夕日が沈むのを見たよね、ここは多分その入り日を観る絶好の場所ではないのかな」と言う。女房は「そうだよね、きっとそれに違いない」と納得した。雨上がりのもやがかかった盆地の山に沈む太陽はこれまで見たこともないような大きいな丸い真っ赤な太陽だった。雲一つない夕空の、黒い山並みの彼方に沈む真っ赤な大きな太陽はこの地でしか見ることができないだろうと思う。

 頼山陽は『日出る処』という作詞で「日出る処、日没する処」と詠った。日出る国では今一国の太政大臣に対し「辞めろ、辞めろ」の声が日に日に高まって来ている。日没する処の国ではその様子をじっと注視していることだろう。その国の恰幅の良い大男の将軍は、日出る国の、内心腸煮えくり返る気持ちでいる兵士たちの歯ぎしりを横目で見ながら、日出る国に対して次の一手を考えているかのように見える。