2011年6月9日木曜日

明日からは新たなラベルで(20110609)

 菅首相いよいよ今月内退陣せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。多くの国民は彼の言動に不信感を持ってしまった。福島第一原発の事故は菅首相がわざわざ現地に出向いたためベントの対応が2時間半遅れたことが直接の引き金になって発生したと思う。

 菅首相が一番大事な時期に官邸を離れ現地視察を行うことを諫めた枝野幹事長を「馬鹿やろう」と罵倒した。新聞は‘いら菅’が言った実際の言葉まで事細かく報道するようになった。鳩山元首相は菅首相を「ペテン師」と言ったと報道した。それらの言葉は全世界に伝わった。多くの日本国民は呆れて言葉を無くした。

 状況は静かに進行している。枝野幹事長が「首相は公債特例法案が成立した後に退陣する」と首相に忠実な官房長官として首相の意向を伝えたが、最早事態は菅首相の思い通りには進まないであろう。菅首相は復興基本法成立後ただちに辞任する以外に道はない。

 男はこのブログでのラベル「武士道後記」の201143日日曜日の投稿記事「信なければ、民意なければ (20110403)」で、

“この国家危急のときの内閣総理大臣は、「民意あっても、信なければ」勤まらないだろう。逆に「信があっても、民意なければ」内閣総理大臣は務まらないだろう。ここでいう「信」とは、・官房長官・閣僚・官僚・補佐官・政務官等内閣総理大臣の周囲の方々が、内閣総理大臣のもと、己の心を無にして公務に専心する気持ちである。”

“もし菅総理に「私心」が見られるようであれば、菅総理に対する「信」も「民意」も一挙に無くなる。信用を築くのには時間がかかるが、信用を失うのは一瞬のことである。”

と書いた。事態はそのとおりになった。菅首相は私的諮問機関「復興会議」を初めとして、浜岡原発、1千万戸の太陽光発電などなど政権延命のためのパフォーマンスを演じたが、多くの国民はそのパフォーマンスに踊らなかった。菅首相は復興本部を立ち上げて自ら本部長に座ろうと目論んだが、その目論見は頓挫した。

菅首相は自ら立ち上げた原発事故調査・検証委員会で「私も被告」と言い、調査には全面協力すると約束した。しかし、その委員会の畑村委員長は「責任を追及しない」と明言している。首相の現地視察間、現地の吉田所長は首相に付ききりだったという。その結果ベントが2時間半遅れ、水素爆発による放射能拡散と核燃料のメルトダウンを引き起こしてしまった。このことを多くの国民は知っている。

「私も被告」というのが国民向けのパフォーマンスであってはならない。菅首相も東電幹部も吉田所長も今回の事故から今後50年後、100年後、1000年後に生きる教訓を遺すため、国民の前に自らの過ちを率直に認め、正しいことを語る責任がある。

男は最早自分の記事が強制的に削除されるようなことはないと思っている。54日に「もうこれでよかろう(20110504)」で始めたラベル「冬牡丹」の‘冬牡丹’は女房が好きな花の名前である。本日の記事をもって「冬牡丹」を終りにし、本日のような記事を書くことも終わりにし、明日以降新たなラベルで「日々是(死)支度」の後半に進もうと思う。

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