2011年7月3日日曜日

日露戦争前哨戦(続)(20110703)

 中国は、南シナ海の領有を主張している。その線の伸びる先は台湾、日本の八重山、沖縄、奄美を囲い込む、中国が防衛ラインと称する第一列島線である。

 古代、中国は陸続きの朝鮮半島を支配していた。その後、朝鮮半島の各王国、中国の清王朝と同じツングース民族が建てた百済や高句麗、中国秦王朝末裔が建てた新羅の各王国は中国の王朝の冊封下に置かれていた。「日出る国の天子」を頂く日本は中国に屈しなかった。唐の時代中国は百済を攻略しようとし、日本(倭国)は百済を防衛しようとして戦った。古来、中国と日本はお互い「自存」のため争ってきたのである。

 人々はそれを中国の覇権主義の行動であるという。「覇権」という表現は、「自存=自己保存」という「生存競争に打ち勝って生き残ること」という生々しい言い方をオブラートに包んだようなものである。人も動物も、社会も国家も、みな「自存」を目指している。このことを我々は直視すべきである。

 新幹線の技術を第三国に移転しないという約束をほごにして、中国が高速鉄道を自主開発したと主張し、特許まで取得しようとしている。これも、中国の国家や共産党特権階級の「自存」のための行動である。中国人は「自存」のためなりふり構わぬ行動に出ている。

 かつて明治維新後の日本は列強に伍して「自存」するため必死に行動していた。ただし、其処には今の中国には見られない美しい日本精神があった。それは「武士道」に裏打ちされた日本人の精神であった。中国人にはそれがない。そのことも我々は考慮すべきである。

 さて、1903年(明治36年)12月以降、「千代田」艦長・村上大佐は情報の収集に最も力を入れた。情報は最優先事項である。緊張の場面にあって、機を制し自ら主動の位置に立ち、戦いに勝つため不可欠の要件である。“村上大佐は、京城に駐在する公使・・(中略)・・と密接に連絡をとり、・・(中略)・・警察署長や郵便局長に至るまで気脈を通じて幅広く情報を集め、情勢の分析に心を配った。・・(中略)・・村上大佐は、外からの情報も極力集めようとした。そのため「千代田」の士官たちに、各国軍艦に乗り組む士官たちとの接触・交流を奨励した。・・(中略)・・各国の軍艦とも、乗り組む士官たちは相当な緊張の中で毎日を過ごしていたのであるが、うわべは何喰わぬ顔をして行き来して、素知らぬ振りをしながら飲み、喰い、語らって、注意深く相手の動静を探った。「千代田」の士官たちは、とりわけ露国海軍の士官と頻繁に接触し、親しく付き合う振りをして相手の動向を見守った。”

 今、日中の防衛交流は進んでいない。一朝有事の場合、中国や韓国からの邦人引き揚げのルールや手順も何もかも決まっていない。「自存」のためなりふり構わぬ行動に出ている中国に対して、日本はあまりにも無頓着である。

その状況は中国の思うツボである。中国は国家100年の謀で、戦勝国側として加わった東京裁判を有利に導き、今日の状況までもってきた。有事はほんのちょっとしたきっかけで起きてしまうものである。秋山氏の著作に日露戦争勃発1か月半前の仁川における状況や、釜山(プサン)沖での日本艦艇による露国商戦拿捕事件のことが記されている。(続く)

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