2011年7月24日日曜日

江戸時代も身分制の原則のもと機会均等の自由な社会であった (20110724)

 明治維新前は士農工商の身分制度があって、百姓・町人は名字を持たず、武士が威張っていた社会であったと思っている人が多いことだろうと思う。ところが実際はその社会は自由な社会であった。公式に名字を名乗れなかった「百姓」も非公式には名字を名乗っていた。士農工商の区分は身分の区分ではあるがそれだけではなく、士・農・工・商のそれぞれの役割を明確にし、それぞれがその役割をきちんと果たすことによって安定した社会になっていたし、士農工商の身分間の移動もかなり多く行われていたのが実態である。

 放送大学は、誰でも自分の好きな科目について、何時でも何処でも自由に勉強することができるすぐれた教育機関である。この大学の学生になれば通信指導を受けることができ、単位認定試験を受けることができる。テレビやFMラジオがあればそこが大学のキャンパスになる。教養を身に付けようとして定年前や定年後学士入学する人も多い。

 ここに『階層社会と不平等』という放送大学の一冊の印刷教材がある。その講義はテレビで行われている。録画しておけば自分の好きな時間に再生して講義を受けることができる。この本の著者は放送大学客員教授で東北大学大学院教授でもある原 純輔・佐藤嘉倫・大渕憲一の三氏である。その印刷教材の一部を括弧(“”)で以下に引用する。

 ここで出てくる「奴婢制度」は日本では平安中期・900年代に既に廃止されたが、香り高く美しい武士道精神のようなものがなかった朝鮮では日清戦争により朝鮮に対する中国(当時、清国)の支配がなくなって初めて廃止されたし、漁船衝突事件を起こしたりしている中国では中華人民共和国になってようやく廃止されたものである。

 “「百姓」は姓制度に由来する言葉であり、漢音で「ひゃくせい」、呉音では「ひゃくしょう」と読む。・・(中略)・・天皇から姓を賜与された者が良民=王民、無姓者は奴婢と身分区分され・・(中略)・・一般庶民の姓は雑多であったので「百姓」と呼ばれた・・(中略)・・百姓はしだいに耕作する土地との結びつきを強め、農業を家職とするという家を成立させ、家の存続を共同保障するため地縁共同体である村を成立して、新たな社会的身分として「百姓」身分を主張するようになった・・(中略)・・

 「賤民」身分も創出された。・・(中略)・・江戸時代にはまた、物乞いによって渡世をする者たちが「非人」身分に編成され、「穢多」と同様、行刑・警察的役務を担わされた。・・(中略)・・幕府や藩の役人に登用されるのは武士身分に限定され、どの役職に就けるかは家格階層に制約された。しかしながら、現実の人事は必ずしも硬直化していたわけではない。庶民を幕府・藩の登用した例は多くみられ、その際には武士身分に引き上げられた。軽格の武士を上位の役職に抜擢する際は格式を上げた。こうして身分制の原則と能力主義を両立させていたのである。・・(中略)・・

 欧米列強に対峙して日本国を存続させるため、武士みずから身分制を廃止し、軍事は国民皆兵によって担い、政治は建前上は能力によって登用されるものが担うことによって、近代国家を建設していくことになった。”