2011年7月29日金曜日

日露戦争前哨戦(補記) (20110729)

“「我が方からではなく、日本軍の方から戦闘を開始することが望ましい。それ故、日本軍が我が方に対して行動を起こさない場合には、貴官は、日本軍が南朝鮮ないし元山を含む朝鮮の東部沿岸に上陸するのを妨害すべきではない。しかし、朝鮮の西部方面に於いて、上陸部隊を乗せた日本軍艦隊が北緯38度線を越えて北上する場合には、日本側からの一発を待つことなく、日本軍に対する攻撃を許されるであろう。」

 この時点になっても、ニコライ二世を始めアレクセーエフ総督たちは、さほど緊迫感を懐いていない。それは、大国ロシア側が戦いを仕掛けない限り、小国日本側から立ち向かってくることはあり得ないと信じていたからである。”

 ロシアのこのような鷹揚な態度は、今の日本にあてはまらないだろうか?中国が尖閣諸島漁船衝突事件を起こしたり、沖縄本島と宮古島の間を11隻の中国艦隊が無断で通過し、外洋で行動したり、宮城沖の日本の排他的経済水域内で日本に無通告で調査活動を行ったり、新幹線を中国独自で開発したと言い張り、こともあろうに特許を申請し、それが最近故障したとき「日本の新幹線でもよく起こることだ」と日本の技術を侮辱したりしても、日本は鷹揚に構えている。中国がアメリカのように航空母艦を核としたシステム艦隊を持つようになるのは何十年も先の事だと高をくくり、危機感を持とうとしない。

多くの日本人は、中国が13億人の自国民を食べさせるため、今必死で外洋への出口をこじ開けようとし、資源確保に走っているのを理解せず、日米安保があるから大丈夫だと、片務性の同盟関係を少しも反省しようとしない。集団的自衛権を法解釈で何とか双務的にしようと試みて、憲法改正にまともに立ち向かおうとしない。

心ある国会議員たちは、与野党の党派を超え「日本党」として新しい政党を立ち上げることはできないのか。半世紀後の日本の安全保障に真剣に取り組むと共に、中国の「自存」への熱望に対して、中国が武力によらずとも「自存」できる道を一緒に考えてやることは出来ないものか。

 日露開戦にいたる状況について、もう少し秋山氏の論文を引用することにする。

1903年(明治36年)108日、ロシアが清国と協約した満洲からの撤兵最終期限が到来した。しかし、露軍は全く撤兵の気配を示さないばかりか、逆に軍事力の増強を促進し、奉天城を占領し清国守備隊を場外に放逐して城門に露国の国旗を掲げた。また北韓に於いては日本居留民に危害を加え、その既得権を侵害した。”

“日本における非戦論・反戦論は、近代日本が国家権力の正当な発言手段として世に認められた筈の日清戦争が、あまりにも多大な犠牲・損害を招来したという苦い経験から、10年後の日露戦争に際して非戦・反戦の論議が本格的に始まったものであった。

戦争はなに人も欲するものではない。それゆえに、伊藤博文は日露協商を熱烈に模索したし、山県、桂は日英同盟によって日露戦争の回避を願った。事実、日英同盟が締結された時、これで日露の衝突は遠のいたとして、国民はあげてこれを歓迎した。” (続く)

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