2011年7月12日火曜日

日露戦争前哨戦(続)(20110712)

 “外国軍艦の艦長たちは何れもこの要請を拒絶した。そしてルードネフ大佐に、日本艦隊に対して降伏することを勧めた。しかし、ルードネフ大佐は武人の誉れを重んじて敢えて撃って出ることを選んだ。・・(中略)・・そして通告を受けた時刻である正午の少し前、各国軍艦の乗組員や仁川在住の日本人居留民、韓国市民たちが固唾を呑んで見守る中を、ワリヤーグ号とコレーエツ号はマストに戦闘旗を掲げておもむろに動き出したのである。・・(中略)・・

 ワリヤーグ号艦長ルードネフ大佐は、出撃に先だって総員を集め、悲壮な演説をした。「諸君、我々は今や、優勢な日本艦隊と戦闘を開始せんとしておる。我々はロシアの国旗の名誉を護持するために敢然と戦わなければならない。我が艦は勿論のこと我々は一人として降伏して敵に身を委ねたりはしない。各人はその義務を果たすために、最後の血の一滴をも振り絞って戦い抜こう。・・(中略)・・

 ロシア皇帝と露艦のために「ウラー(万歳)」が斉唱され、ワリヤーグ号の軍楽隊がロシア国歌を奏で始めると水兵たちは高らかに合唱した。露艦が各国軍艦の傍らを通り過ぎるとき、軍楽隊は、英、仏、米、それぞれの国歌を演奏した。それは別れのあいさつであるかのようで、「ウラー」「ビバー」の歓声が一斉に沸き起こり、外国軍艦の水兵たちは帽子を振ってこれを見送った。

 ワリヤーグ号コレーエツ号の出撃、それは悲壮この上ないものであった。乗組員たちは、今生の別れともなる家族への最後の手紙を書き、英艦タルポット号に託した。”

 “午前010分、最も港近くに碇泊していた「浅間」から露艦出港の信号が発せられた。旗艦「浪速」に座乗する瓜生司令官は、これを見止めて、直ちに戦闘開始の命令を発した。露艦は檣頭に戦闘旗を翻しながら、ワリヤーグを先頭にしてコレーエツ号がやや斜め後ろからこれに続いて出撃して来た。・・(中略)・・彼我の距離約7千メートル突に接近せしを以て「浅間」は敵を左舷に見其の前路を横断しつつ同20分ワリヤーグ号に向かい轟然砲火を開き敵も亦直ちに応戦し・・(中略)・・巨弾屡々ワリヤーグに命中し火焔盛に颶れり。敵も亦応戦大に力めしも遂に支ふるに能わず、ワリヤーグ先ず右方に回頭して八尾島の陰に隠る。・・(中略)・・独り「浅間」はワリヤーグを追うて愈々攻撃を続け敵は損害甚だしきものの如く、艦体著しく左舷に傾き火焔に包まれつつ仁川錨地を望み遁走し、コレーエツも亦之に随えり。・・(中略)・・深傷を負ったワリヤーグ号は、かろうじて反転し、仁川港に遁入、コレーエツ号もこれを追って港内の錨地に逃げ込んだのである。”

 “艦長ルードネフ大佐は・・(中略)・・負傷者を外国軍艦から派遣された端艇に移乗させ、次いで総員退艦を命じた。・・(中略)・・港内で艦体を爆破することは諸外国の艦船に被害を及ぼす虞れがあり大変危険であると、碇泊中の各国軍艦の先任者である英艦タルボット号艦長のベイリー大佐からの申し入れがあり、ルードネフ大佐はワリヤーグ号の爆破を断念し、キングストン弁を開いて静かに沈めることにした。”       (続く)

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