2011年7月31日日曜日

日露戦争前哨戦(補記) (20110731)

日露開戦に至る経緯について研究すれば、現在、中国が海洋進出を目指して日本を含む周辺諸国との間緊張・摩擦を起こしているとき、日本はどう対処すべきか参考になるのではないかと思う。キーワードは「自存」である。中国がただ単に自国の「威容」とか「覇権」が主目的のため行動しているわけではないと思う。「威容」・「覇権」もあるだろうが・・。

当時のロシアは明らかに他の列強同様、領土拡張を狙っていた。日本は韓国がそれまで清国(当時の中国)の支配下にあったものを独立させたが、今度はその韓国がロシアの支配下にされることを非常に恐れた。(関連:「日露戦争前哨戦(続)(20110720)」・「日露戦争前哨戦 (20110721) 26日から「補記」で継続))。当時の日本は「自存」をかけて、大国ロシアと戦わざるを得なかったのである。

 今、中国が豊かになりつつある13億人の自国民を食べさせるため、国際ルールを無視し、なりふり構わぬ行動に出ている。それはかつての武士道の日本とは全く違う、ある意味では「動物的」な行動である。中国国民は中国共産党にとって日本に対する誤った歴史観を植え込まれている。おまけに日本人までも植え付けられた「自虐史観」により、中国の誤った歴史観を正しいと思い込んでいる。民主党政権下で反日活動家が国家公安委員長になったことがあった。外国人活動家がこの日本国内で教育・行政・政治・企業などにもぐりこんでいる。これらの摘発の為、日本版CIAが是非必要であると思う。

 日露開戦までの日本政府の動きを今少し付け加える。(秋山氏論文引用)

 “1903年(明治36年)1216日、首相官邸に於いて元老会議が開かれた。伊藤、山県、井上、松方、大山の五元老と政府側から桂首相、寺内陸相、山本海相、小村外相の四名が之に参集し、対露交渉問題に就いて討議した。若し、戦争を回避しようとするならば、日本はロシアの要求を容れ屈辱的な譲歩をするしかないが、それは日本帝国がロシアの隷下に膝まずくことであって、到底承服することは出来ない。交渉によって平和的に解決する方途がないのであれば、遺された途は武力の行使、即ち戦争以外にないことは誰しもが分かっていた。しかしこの日の結論としては、兎に角、陸海軍の臨戦態勢を整えるまでの間、ロシア側に再考を求める形で交渉を続けることに決した。”

111日、閣議が開催され、陸軍は再び、単独でも韓国に出兵したいとの申し入れを行った。露軍の満洲への配備、展開が完了しないうちに攻撃したいとする参謀本部は、かなり焦っていた。しかし、会議では矢張り、海軍の準備が整うのを待つことに決した。続いて、翌12日、御前会議が開催され、「重大なる危機に際し和戦何れかに決定せん」がための審議が行われた。・・(中略)・・閣僚、元老とも開戦やむなしとの意見であったが、天皇は各発言を深くお聴きになり種々御下問の後「いま一度催促してみよ」と御指示になった。・・(中略)・・政府は最終案を作成し、113日、露国側に提示してその回答を求めたのである。しかし、再三の催促に拘わらずロシア側からの返答はなく、徒に日時を過ごすのみであった。”                            (続く)

0 件のコメント: