2011年7月4日月曜日

日露戦争前哨戦(続)(20110704)

 明治時代、武士の末裔たちは人を観る眼があった。日露両国間の緊張が高まる中、佐賀藩士子孫村上格一を巡洋艦「千代田」艦長に任命し、その「千代田」1艦のみを緊張が高まる仁川港に碇泊させた時の明治政府の指導者も、また武士の子孫であった。

遺伝学的に見れば、多くの日本人には多かれ少なかれ武士の血が流れている。大事なのは「武士の教養」である。ある人が、「私は大学時代原子物理学を学んだ」と胸を張っても、「その後続けてその応用工学の分野まで学を深め続けましたか?」と問われ、「それ以外に人文系のどんな勉強をしましたか?」と問われれば、たちまち答えに窮してしまうだろう。 

“仏国に留学を命ぜられ・・(中略)・・在仏28か月の間、村上格一は、仏国をはじめ、英・蘭・白・独・露・西・伊など各国の軍港・軍需工場などを数多く視察・訪問して見聞を広め、軍事に関する貴重な情報・資料などを収集して帝国海軍の発展に寄与した。” 武士の教養を下地に、海軍兵学校で兵学・工学の基礎知識を身に付け、実地経験を積んだ村上格一は、当時の近代科学技術の粋を集めた軍艦の艦長を務め、日本国家に貢献した。

現代、国際社会で自ら「後進国」と言い、国際社会でも「先進国扱い」されていない中国は、先進国日本に多くの人材を派遣し、日本の先端科学技術を吸収している。それだけならまだ良いが、恩のある日本に対して中国は牙をむいている。日本人は人が良すぎる。

明治の日本人には武士の心の清さがあったが、現代の中国人には貪欲な「自存」意欲だけが目立つ。ある意味で野生の猛獣のような国である。その点ロシアも北朝鮮も同じである。日本人は、今こそ明治の日本人が示した清い心でもって自らの存立に真剣にならなければならない。日本人の血の中にある武士の血を甦らせなければならない。

“仁川駐在の露国領事はポリヤノスキーと云い、夫人は日本人であった。巡洋艦ワリヤーグ号の艦長ルードネフ大佐は、砲艦コレーエツ号の艦長ベリヤーエフを伴って、屡々、露国領事館を訪れポリヤノフスキー領事と会談し、情報の交換を行っていた。また、時には、京城の露国公使館に出かけてゆき、パブロフ公使や駐在武官たちとも直接面談し、情勢の分析や意見の交換を行った。そうした時の大方の結論は、露国側から手を出さない限り、日本側から仕掛けて来ることは無いだろうと云うことであった。ロシア人たちは、強大なロシア帝国に向かって小国の日本が戦いを挑んで来ることはあり得ないと信じていたのである。

ロシア人たちは、日露の関係が穏やかでなくても、韓国の王室及び政府は親露的であり、仁川はその韓国の港であって、それほど不安な町とは思っていなかった。ところが、1903年(明治36年)113日、天長節(明治天皇生誕日)の祝賀会が日本人居留民会で催された折に、酒に酔った一部の若い衆が、上陸して散歩していた露艦の水兵たちに投石したり殴りかかるなどして乱暴狼藉をはたらいた。”

北京の日本大使館建物に損害を与えた中国の若者たちのことが思い出される。今の中国は心の清さこそ違うが、当時の貧しかった軍事強国日本に似たところがある。 (続く)

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