2011年7月8日金曜日

日露戦争前哨戦(続)(20110708)

 先頭を走る「千代田」は、既に、軍議で決めた港内(即ち、非戦闘区域)に入っていた。この時、港から出て来た露艦コレーエツ号と出合った。コレーエツ号は、日本艦隊に敬意を表するために甲板に衛兵を整列させていた。これを見て「千代田」は、配置していた砲手を後ろに下げて隠し、急遽、衛兵を立ててこれを迎えた。そして両艦は行き交うとき互いに慇懃な敬礼を交わしたのである。後に分かったことであるが、コレーエツ号は旅順の基地に帰港する途中であった。”

 秋山代治郎氏は放送大学教養学部の時の卒業研究をさらに深めるため、同大大学院修士課程で日露戦争の勃発の経緯について研究し論文にした。そしてそれを『近代日本と日露戦争――その勃発の経緯と歴史的背景について――』という本の形にした。私は、氏の放送大学教養学部における卒業研究論文とともに、その修士論文コピーも頂いている。

氏は、ソ連抑留時代身に付けたロシア語を駆使して日露戦争に関するロシア側の文献・史料も翻訳し、国会図書館に収められている各種図書・史料等を調査・研究し、学部と大学院の両方で、研究成果をまとめ上げ、本も出版した。

 これらは非常に貴重な資料である。私は歴史は繰り返すと思っている。近代日本とロシアの武力衝突は、起きるべくして起きたものである。今、中国は当時の日本のように「富国強兵」をスローガンに掲げ、東シナ海、南シナ海で示威行動を起こしている。先日は宮城沖まで無断で進出し、中国海軍の行動のための海洋調査を行っている。今、平和を享受している日本人は、かつて自分たちの3世代、4世代前の男たちがどういう思いで、「自存」のためまっしぐらに突き進んだか、顧みる必要がある。今、中国は自国の「自存」のため、まっしぐらに突き進んでいる。今の日本は、当時のロシアのように、鷹揚に構えていると中国にひどい目にあわされること必至である。

 さて、ワリヤーグ号艦長ルードネフ大佐は、ロシア上層部の同意が得られなかったための独断で、速度・戦闘能力共に低いコレーエツ号だけを先に避難させようとした。「千代田」の出港も気づいていた。コレーエツ号には戦う意思は全くなく、日本側が勝手に定めていた仁川港港外、即ち戦闘区域外を知らずに越えた。秋山氏の本にはこう書いてある。

 “『日本海軍公刊戦史』によると「日本艦艇がコレーエツ号に近づき、水雷艇「雁」が300メートルの距離から直径14インチのホワイトヘッド魚雷を1本発射したが、コレエーツ号が進路を変えたので魚雷は外れた。別の2隻の水雷艇がコレーエツ号に一段と接近したのでコレーエツもこれに砲撃を開始した。更に魚雷が2本日本側から発射されたが、やはりこれも当たらなかった」と記載されていることを披露している。そして、結局、どちらが先に仕掛けたのか、その真相は分からないと結論づけている。・・(中略)・・今の今まで、衛兵を並べて敬意を表していたコレーエツ号がいきなり発砲してくるなど到底考えられない。まして、非力な小砲艦のコレーエツ号が、絶対的に優勢な瓜生艦隊を相手に、単独で戦いを挑む様な自殺的行為をする筈がない。・・(中略)・・”        (続く)

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