2011年7月19日火曜日

日露戦争前哨戦(続)(20110719)

 すべての動植物・人間・団体・企業・政党・国家・etc、みな「自存」を目指している。

それを別の見方で例えば「生存競争」と言い、「自己主張」と言い、「自己認識を求める願望」と言い、「見栄」と言い、「差別」と言い、「恫喝」と言い、「党利党略」と言い、「覇権争い」と言い、「戦争」と言い・・・。結局「自存」力の強いものだけが生き残る。

国家も同様。国家の「自存」力は、国家の指導者の思想・志操・信条次第である。国家という一つの「集合体」の中の各「部分集合」個々の力が如何に大きくても、それを国家の「自存」に指向させる指導者に「自存」の哲学観なく、国民が「洗脳」されていて平和ぼけし、飽食し、甘ったれていれば、その集合体は外の別の小さな「集合体」の戦略・戦術に負けて、その「自存」が危うくなるだろう。

明治の日本には、「武士道」精神をもったすぐれた指導者がいた。国民は「天皇」を中心に「自存」のため団結していた。それが、今はどうか?日本国民は「自存」という観念をどこか遠くにしまいこんでいる。指導者は「国」や「公共」のことよりも「自分」「自己」のことだけを大事に考えている。それで次世代によいものを遺せるのだろうか?秋山氏の論文を引用する。

 “三国干渉により遼東半島を清国に変換することを余儀なくされた日本は、国際的孤立感に打ちひしがれた。当時の軍事力からいって、まともに近代戦を戦い抜ける国は、ヨーロッパでは、英・仏・独・露の四か国、海を隔て米国、それに日本ぐらいのものである。 

しかし、日本は日清戦争を終結したばかりで、国力はかなり消耗していた。従って、独・仏・露の三国に立ち向かうだけの力は到底持ち合わせなかった。それ故、やむをえず三国の要求に応ぜざるを得なかったのである。

フランスの新聞『パリ』紙などは、「日本降伏す」と大見出しの記事を掲載し、独・仏・露同盟三国の大勝利を喧伝した。その記事が日本紙で報道されるや、日本人の国民感情は痛く傷つけられ、人々は非常に憤慨した。”

こういう状況のとき、福沢諭吉が言ったように「国際関係の変化」があった。日英同盟がそれである(関連記事「日露戦争前哨戦(続)(20110716)」)。秋山氏の著書を引用する。

“国力からすれば、日本は英国に比肩して同盟を結ぶほどの対等な立場にはないが、その頃の英国は南アフリカをめぐるボーア戦争で手が抜けず、ヨーロッパ諸国から孤立してアジアにおける英国権益の防衛に窮していたので、日本のアジアにおける勢力に依存することを望んでいた。・・(中略)・・

当時の英紙の論調を見ると『モーニングポスト』(1897127日)は「独逸がアジアに拠点を求めようとするのは今始まったことではない。日清戦争のとき台湾をかすめ取ろうとしたし、戦争後は清国北部海岸を求めようとした。・・(中略)・・『ガゼット』紙は「英国が東洋における現今の困難を救うのは、日本と提携する他に道はない」 と主張しており、・・”                               (続く)

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