2011年9月6日火曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(7) (20110906)

 “江上波夫「騎馬民族征服王朝説」ははじめから成り立たない”と、『決定版 日本史』渡部昇一先生は言う。東大名誉教授だった江上波夫氏は1948年に「日本民族=文化の源流と日本国家の形成」と題するシンポジウムで騎馬民族征服王朝説などを発表し、考古学会に一大センセーションを巻き起こした。彼がこの説を唱えたことで文化勲章をもらったとは思わないが、既に故人となっている彼に私は強い憤りを感じている。

 彼の所説の要点は、「大和朝廷は、夫余(ツングース人)騎馬民族によって、4世紀末から5世紀前半ごろに始まった」ということである。日本の大歴史学者、それも東大の学者の所説なので、これに触発された人たちは多い。書店に人目を引くキャッチフレーズで、皇国史観を否定する本や、韓国の学者が書いた本が並べられている。日本人の「外部遺伝子」はこれによって傷つけられたことは間違いない。

 渡部昇一先生は「騎馬民族征服王朝説」を否定する理由として、京都大学原勝郎博士の英文の著書『An Introduction to The History of Japan(日本史入門)』を引用して次のとおり言っている。

 “第一に住宅のつくり方が高床式になっている。・・(中略)・・そこに暮らした人々が明らかに南方系であることを示唆している。

  第二の理由は、日本人の米に対する異常ともいえる執着心である。・・(中略)・・米はご存じのように南方植物であって、これはいわゆる騎馬民族の国に生えるものではない。

  第三に勾玉というものが考古学的には重要である。というのは、勾玉は百済(くだら)と日本にしか発見されていないからである。ここから推測されることは、おそらく南のほうからやってきた民族がやや北の方に逸(そ)れていったのが百済、すなわち朝鮮南部に住み、主力は九州に上陸し、そこから大和地方に行ったのではないか、ということである。(後略)

  第四の理由としては、宗教の儀式で禊(みそぎ)が重要視されていることである。禊とは水をかぶるものだから、これは南方系の儀式と考えて間違いない。”

騎馬民族は稲作文化を持っていない。日本の稲作文化は、安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』をもとに多少の推測を加えて言えば、長江流域の民が北回り(北方の狩猟畑作文化をもった漢族の圧迫から逃れて北上し朝鮮半島経由で日本へ回ってきたルート)と南回り(長江河口から船で沖縄・奄美をへて日本へ回ってきたルート)によりもたらされたおのであり、米の種類はジャポニカ種である。

また、ミトコンドリア遺伝子のタイプM7aは日本列島だけではなく朝鮮半島南部に僅かのこっている事実、考古学的発掘品から朝鮮半島南部に縄文人が住んでいた痕跡が見つかったという事実、そして663年に日本が海から漢族の中国と陸からツングース系の新羅の挟み撃ちにあって百済を救うことができず大敗し、敗残兵ととともに非常に多数の百済の民が日本に引き揚げた事実から、江上波夫の説は完全に否定されるものである。 (続く) 

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