2011年9月21日水曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(22) (20110921)

日本人の思想を形づくる二本の柱

 当時の日本人の思想をしる知るためには、山上憶良(やまのうえのおくら)の「好去好来(こうきょこうらい)の歌」という長歌(ちょうか)が参考になる。

 その一節に、「神代(かみよ)より言ひて伝(つ)て来(け)らく そらみつ 大和(やまと)の国は 皇神(すめらぎ)の厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と 語り継(つ)ぎ 言(い)ひ継がひけり」とある。 

 ここで山上憶良は日本の特徴を「皇神(すめらぎ)の厳(いつく)しき国」すなわち王朝が神代から変わらない国であるといい、また「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」すなわち言葉に対する信仰があると述べている。それゆえに尊い国であるというのである。

 これは山上憶良が述べているところが非常に重要である。山上憶良の父親は朝鮮半島に駐在していた日本の武人であり、天智二年(六六三年)白村江(はくすきのえ)の戦いで日本軍が唐と新羅の連合軍に敗れたとき、四歳であった憶良を連れて日本に引き揚げてきた。つまり憶良はその頃の朝鮮を見ているのである。

 また憶良は、その後、大宝二年(七〇二年)に第七次遣唐使とともに唐に渡り、唐の都、長安(ちょうあん)にも行っている。つまり憶良は、当時の人としてはきわめて稀(まれ)な日本の知識人なのである。

 その人が朝鮮半島やシナ大陸の王朝を頭に入れながら、日本の特徴として王朝と言語の二点を挙げている点に注目したいと思う。シナや朝鮮と比べて日本を際立たせるものは、神話の時代から続いている万世一系(ばんせいいっけい)の皇室であり、「やまとことば」であるというのである。

 実際、和歌には外国語と意識される単語は入れず、「やまとことば」しか使わないというのが伝統であった。・・(中略)・・和歌に外来語は使わないという伝統は明治時代まで

ずっと続いていた。”

 山上憶良の「神代より・・」の長歌は、万葉集巻五・八九四に収録されている。この歌を『NHK日めくり万葉集』の選者として、リービ英雄(本名リービ・ヒデオ・イアン)というアメリカ人で法政大学国際文化部教授が解説している。以下“”で引用する。

 “自分の国を称賛する表現は、世界中どこにでもありますが、私の国は言葉の魂が活発な国であるという、この表現こそ、僕は日本独自のものではないかと思いました。

 憶良は異国から日本に渡り、この島国の表現者となった、ということがわかったときに、僕はすごい解放感を感じました。自分が何人(なにじん)だとか、どこの生まれだなどということは、じつは近代的な発想です。はたして奈良時代の人たちに、そんな意識があったのかどうか。・・(中略)・・朝鮮や中国と並べたなかで、日本語の特徴は「言霊」にあると書いている。これは僕にとってちょっとした発見でした。”

 日本人自身が気づいていないことを外国人が気づいてくれている。有り難い! (続く) 

0 件のコメント: