2011年9月10日土曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(11) (20110910)

 (前日より続き)

 この即位式のときに神武天皇は「六合(りくごう)を兼ねて都を開き、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん。また可(よ)からずや」と述べている。六合とは「国のうち」、八紘とは「天の下」という意味で、ここから「八紘一宇」という言葉が生まれた。

 この言葉は「世界を一つの家とする」という意味を持つが、戦後の東京裁判において「日本が世界を征服するという意味を示したもの」と曲解され、批判された。しかし、当時の弁護団が明快に説明したように、これは神武天皇が即位式に集まったもろもろの氏族や土着の部族に対し、「これからは国じゅう一軒の家のように仲良くしていこう」という願いを述べられたものである。言うなれば長い戦争のあとの平和宣言であり、同時に日本の建国の精神を示したものなのである。

 伝承によれば、神武天皇がこの言葉を述べたのは「二千六百年前の話となっているが、「八紘一宇」はこの前の大戦のときにも生きており、今日もなお吟味すべき価値のある重要な言葉である。

 例えば第二次大戦中、ユダヤ人を迫害したヒトラー政権が、同盟関係にある日本に対してユダヤ人迫害政策への協力を要求してきたことがあった。そのとき日本の陸軍大臣、板垣征四郎は五相会議において「神武天皇がこの国を開かれたとき、天皇は、“八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん”と仰せられた。ユダヤ人を迫害するのは神武天皇のお言葉に反する」と発言した。その結果、日本はドイツの要請を斥(しりぞ)け、当時の世界で唯一、ユダヤ人を迫害しないと明瞭に打ち出した国となった。

 この例を見てもわかるように、日本には二千六百年前に即位した初代天皇の言葉が現代になっても脈々と生き続けているのである。また「神武東征」のエピソードに登場する橿原神宮などの神社が今も続いている。ここからもわかるように、日本の文化的遺産、つまり古代文化は、エジプトのピラミッドや古代ギリシャの神殿のような単なる「遺跡」ではない。現代もなお「生きている」ところに、その大きな特徴があるのである。”(昨日からの続きはここで一旦終わる。)

 渡部昇一『日本史』の一部を全文引用した。その理由は、私はこの部分が最も重要であると思うからである。日本人の精神文化の大本とすべき部分がこの一文にある。

 私は教育勅語」を復活させるべきである、また「皇国史観」も戦前軍国精神高揚のため利用された部分、特に「海ゆかば」の歌などは、『続日本紀』聖武天皇と『万葉集』4094番に出ている大伴家持の歌を戦意高揚のため利用されたので、その部分などは修正のうえ小中高校教育で教育されるべきであると思っている。それこそが「日本人が日本人である」というアイデンティティを自覚できる最短・最良の道であり、傷ついてしまっている日本人の「体外遺伝子」を修理し、補強する最も良い方法であると思っている。 (続く)

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