2011年9月30日金曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(31) (20110930)

 “天智天皇が中大兄皇子の時代に、朝鮮半島の同盟国である百済(くだら)が唐(とう)と新羅(しらぎ)の連合軍に攻められ、皇子は援軍を派遣した。しかし、白村江(はくすきのえ)の戦い(六六三年)に敗れ、百済の貴族とともに日本に帰国した。この敗戦に危機感を募らせた皇子は、壱岐(いき)・対馬(つしま)・筑紫(つくし)に防人(さきもり)を置き、筑紫に水城(みずき)と呼ばれる堤を築いて西国の防備を固めた。また、おそらくは国防上の理由で、六六七年に都を飛鳥(あすか)から近江大津(おうみおおつ)へ移し、翌年即位して天智天皇(在位六六八~六七一)となった。”

 “天武(てんむ)天皇(在位六七三~六八六)は、仏教を篤(あつ)く信じ、薬師寺(やくしじ)を建立(こんりゅう)したり、全国の家ごとに仏壇をつくって仏像を拝むように命じた。しかしその一方では、六八五年に伊勢神宮(いせじんぐう)の式年遷宮(しきねんせんぐう)(原則として二十年ごとに神社を建てなおすこと)を決めているのである。さらに、伊勢神宮のみならず全国の神社の修理も命じている。まさに神も仏も平等に扱っているのである。

 この天武天皇的発想はそのまま今に伝わり、新年には神社に初詣(はつもうで)に出かけ、お盆にはお寺詣(まい)りをし、クリスマスには教会へ讃美歌を聞きに行くといった平均的日本人のメンタリティの原型となっている。”

1350年ほど前に天智天皇・天武天皇御二人の天皇の治世下、今の日本の原型が出来上がったのである。昭和20(1945)8月、日本は有史以来初めて外国の軍隊によって占領され、天皇制の廃止の危機にさらされた。そのときその危機を救った一人のアメリカ人外交官がいた。ジョセフ・グルー(Joseph Clark Grew1880527 - 1965525日)である。彼は日米開戦時在日アメリカ合衆国大使であった。

グルーは日本への原爆投下と本土決戦回避に尽力された方である。その努力は実らなかったが、ポツダム宣言に「天皇の地位保障」を盛り込む事を再三トルーマンに進言したという。グルーのお蔭で今日まで天皇制が維持され、日本人は神代につながる日本独特の精神文化、「体外遺伝子」ともいうべきものを今日まで維持できている。

高良 勉という沖縄出身の詩人・批評家が『魂振り 琉球文化・芸術論』という本を書き、沖縄が日本国家から一方的にいいようにされたというような主張をしているようであるが。彼はその主張のために「文化遺伝子」という言葉を創設し用いている。

もし天皇制が廃止されてしまっていたらこの日本はどうなっていただろうか? 敗戦により日本人の精神はかなり傷ついてしまった。そのうえ日本人の精神・「体外遺伝子」を破壊しようとしている反日的な人や団体の活動によりさらに傷つけられている。人間の脳には脳梗塞で壊れた箇所を迂回して新たな神経回路が自動的に作られ、機能を回復させる「自存力」が備わっているらしいが、これと同じように傷ついた日本人の精神を戦前の状態に回復させ、「体外遺伝子」の補強を図らねばなければならない。       (続く)

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