2011年9月24日土曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(25) (20110924)

 (渡部昇一『日本史』引用続き)

“これは極めて近代的な書き方である。古代の歴史書でこのような書き方をしている例はほかにないのではないかと思われる。

また「古事記」と同じく、長歌、短歌、神の名前、人の名前、地名といったものは、すべて漢字を発音記号として使っている。

この意味をわかりやすくするために朝鮮半島の例を挙げると、最初の歴史である『三国史記』ができたのは一一四五年といわれ、日本では平安時代の末の頃である。これはすべて漢文で書いてある。その後、一三世紀末に書かれた『三国遺事』もまた漢文である。したがって、古代の朝鮮の言葉がどのようなものであったかは、一切わからないのである。

「日韓併合」の時代に平壌(へいじょう)帝国大学の韓国語の教授であった小倉進平博士が、古代の朝鮮の言葉を一所懸命に探したことがあった。しかし、約七十から八十の古代コリア語らしい単語を見つけただけであった。これは日本の長歌短歌、『万葉集』の膨大(ぼうだい)な和歌などすべて日本語でわかるのに比べると、天地の差である。

このようにして編まれた『古事記』『日本書紀』は先の敗戦までに日本人の歴史観の根底にあった。少なくとも、敗戦までの一千数百年間にわたり、日本人は自分たちの歴史を『古事記』『日本書紀』によって認識し、それに従って行動してきたのである。”

私は亡父が私によく話していたことを思い出した。明治9年生まれの父は私の年よりも若い70歳で没した。私が子どものころ、「稗田阿礼が云々」などと話してくれたことがあった。戦前の人は皆そうであったと思うが、父は「神武天皇から今の天皇まで天皇の名前を全部言うことができるぞ」などと自慢していた。戦後教育の内容ががらりと変わって学校では歴史を教えなくなったので、教育者だった父は息子に日本の歴史を教えようとしていたのであろう。

今の政治家に国家観が乏しいのは彼らが日本の歴史について学んでいないためである。そのうえ書店には日本の歴史を捻じ曲げた説をさももっともらしく書き連ねた本が堂々と売られている、その本を読んだ読者は間違った歴史観を持ってしまうことになる。

日本の神話を事実と考える必要はないが、日本人は『古事記』『日本書紀』に書かれている神代のことについて、それは歴史につながる物語として、単純に素直に受け入れることが必要である。何故ならそれは日本人のアイデンティティの元であり、日本人が心の深奥で無意識の中にあるものであるからである。渡部昇一『日本史』にこう書いてある。

江戸中期の学者・伊勢貞丈(いせさだたけ)(一七一七~一七八四)は「いにしえをいにしえの目で見る」といった。ドイツから発達した文献学でも「古代の目線(めせん)(der Blick der Frühe)」を重んじている。古代を知るには古代人のものの見方や考え方を知らなければならないということだが、歴史を見るときにはこの姿勢を決して忘れてはならないと思うのである。”                         (続く)

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