2011年9月12日月曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(13) (20110912)

「皇国史観」を復活させるべきである!

 戦後「皇国史観」も「教育勅語」も否定されてしまったが、私はこの二つを復活させてもちっともおかしくないと思っている。これを復活させるにあたって、戦意高揚のため「海ゆかば」が利用されたようなことが起きないように、『万葉集』や『日本書紀』などの史料を正しく解釈し、利用するように心がければよい。また、明治天皇の「五ヵ条の御誓文」も復活させるべきである。これは今の時代に適用しても決して軍国主義につながるようなものではない。なぜこれまでこれらが埋もれてしまっていたのかというと、私と同世代の終戦当時まだ子供だった世代や戦後生まれの世代の人たちが、アメリカの政策によって徹底的に民主教育を受け、自虐史観を植え付けられ、洗脳されてしまっていたからである。

 昭和21年(1946年)11日、官報により「年頭、國運振興の詔書」が発布された。その中に次の一節がある。「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。」

 当時の口語文では「爾等」が「お前たち」という風になるが、今の口語文でこの詔書の内容を表現すると「私とあなた方国民の間の絆は、終始相互の信頼と敬愛とに依って結ばれているのであって、その絆は単なる神話と伝説とに依って生じるというものではありません。またその絆は、天皇を現人神とし、日本国民は他の民族より優秀な民族であるので世界を支配すべき運命にあるのだというような架空の観念に基づくものでもありません。」ということである。これがいわゆる「天皇の人間宣言」と言われるものである。

 詔書には御璽印が押される。詔書の制度は平安時代の昔から法律で定められていた。平安時代の昔、天皇が「神の子」のように思われていた時代でも、天皇は自分勝手に詔書を出すことはできなかった。先ずは天皇と公卿(今の内閣総理大臣他各閣僚に当たる人々)が合意し、事務方(中務省の内記という官職の者が草案を作成し、上司3人(大臣、事務次官、課長相当の各役職)が署名し、文書記録・保存の諸手続きを経て事務方が天皇の印(御璽印)を押す。そうするとその文書は非常に大事な文書となるので外記という役職の者が所定の手続きを行い天皇への上奏文とともに太政官会議(閣議のようなもの)にかけ、天皇に報告し、文書記録・保存など所定の手続きを踏んで初めて詔書となる。この仕組みは現憲法下天皇が詔書を発布する手続きに踏襲されている。

 皇国史観を復活させてもちっともおかしくない。『古事記』『日本書紀』の神話の部分は、その神話が天皇家の祖先のことを語るものとしてそのまま単純に理解し、天皇の機能が基本的には平安時代の昔から変わっていない。奈良時代から平安時代の初期にかけて、天皇が自ら政治の表舞台に立っていた時代があったが、天皇は次第に「象徴」のような存在になった。それが今でも続いているのである。             (続く) 

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