2011年9月16日金曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(17) (20110916)

 “無意味な『魏志倭人伝」

 その後の天皇に関する記録は、日本において非常に詳しく記されているが、それに相応する大陸の記録がないという理由で、歴史学の世界では無視されがちである。しかし、それはないのが当たり前である。日本の中で起こっている出来事を、海を隔てた隣の国が細かく知るわけがないではないか。そもそも日本の歴史を解釈するのにシナの古い歴史書を拠りどころにしようとするのがおかしい。これは江戸時代の山片蟠桃(やまがたばんとう)という人も指摘しており、戦前の歴史でもその常識は守られていた。戦後は『魏志倭人伝』からはじまって、大陸の歴史から日本の歴史を理解しようという動きがある。しかし、これほど滑稽なことはない。・・(中略)・・「魏志倭人伝」は昔の日本人の学者も知っていたが、戦前はまともに取り上げられなかった。それは以上のような理由で、大陸の学者に日本の歴史が正確にわかるわけはないという常識が生きていたからである。”と渡部昇一先生は言う。

岩間 弘という方が書いた『大東亜解放戦争』上・下巻(創栄出版)という本がある。岩間 氏は昭和3(1928)に台湾台中市で生まれた方で、昭和15年にこの本を出版した岩間書店を設立している。その本は日本人皆が是非一読すべき本であると私は思っている。

 その本に“日本神話を抹殺した教科書が文部(科学)省の検定に合格している。合格させた文部(科学)省の見識を疑う。一例をひくと東京書籍の歴史には次の様に書いてある。「・・・・そのころ、日本には邪馬台国(やまたいこく)という国があり、魏(ぎ)と交わりを結んだ。・・(中略)・・魏の皇帝から倭王という称号と金印を授けられ、また銅鏡百枚など、たくさんの贈り物を授けられた」と書かれている。どこにも日本の神話として古事記、日本書紀に書かれている天照大神も三種の神器も神武天皇も出て来ない。・・(中略)・・ 

文字が無かったのである。その日本語を悪意を持って書いたのが魏志倭人伝(ぎしわじんでん)である。「邪馬台国(やまたいこく)は大和国(やまとのくに)・・(中略)・・「卑弥呼」は「日御子(ひみこ)或いは「日美子(ひみこ)即ち「天照大神」・・(後略)。”

岩波文庫『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭國伝・隋書倭國伝』の隋書倭國傳に「都於邪痲靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。」とある。靡は摩の誤写である。堆は中国音で‘トゥイ’臺は‘タイ’である。古代の日本語の音を中国人が聴いて中国の文字を当てて書いたものであるので、「痲靡堆」も「邪馬臺」も、講談社学術文庫『倭国伝 中国正史に書かれた日本』にあるように「やまと」であると思う。

 なお隋書倭國傳には、「新羅・百濟皆以倭爲大國多珍物、並敬仰之、恆通使往來。(新羅(しんら)・百済(ひゃくさい)は、皆倭を以って大国にして、珍物多しと為し、並に之を敬仰して、恒に使いを通じて往来す。)」とある。聖徳太子の昔、日本に朝鮮半島から朝貢があったことが記されている。ちなみに『日本書紀』(岩波文庫)推古天皇の時、百済から駱駝やロバなどが貢がれたとか、新羅を攻めたなどの記述がある。 (続く)

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