2011年9月14日水曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(15) (20110914)

 『古事記』『日本書紀』に書かれた「神代」は、全日本人が共有している。

 記紀の「神代(かみのよ)」は天皇家の御先祖につながる歴史物語である。この歴史物語は全日本人の先祖につながるものである。なぜかと言うと我々日本人はそれぞれの形質の何処かに天皇家の御先祖の形質が含まれているからである。極端なことを言えば、例えば山手線のある列車の座席に座ったとき、隣に座っている人とは何百年、何千年かの昔、共通の親がいたということが起きているのである。

 1000年前、日本の人口は500万人ぐらいだった。一組の親に二人子供がいたとし、25年で世代が代わると仮定する。1000年後(西暦2000年、平成12年)には単純計算で240乗、つまり1兆人になる。実際は127百万人である。ということは西暦2000年に生きている人が1000年前にさかのぼると、同じ母親だったり父親だったりするということである。まして「神代」においてはもっと凝縮されるということである。

従って記紀の「神代(かみのよ)」は天皇家の御先祖につながるだけでなく、全日本人の先祖にもつながっているのである。従って記紀に書かれている「神話」は全日本人共有の歴史物語であるのである。

我々日本人は縄文人や渡来系弥生人の形質を、また日本に渡来して帰化した漢人・ツングース系の人々・モンゴル系の人々など雑多な形質を、目とか瞼とか鼻とか口とか歯とか髪とかからだの何処かに持っている。戦後日本に帰化した在日韓国・北朝鮮の人々の形質も、今後何世代も交雑して行くうちにその形質の特徴が薄められ、日本人と全く変わらなくなる。それが「同化」ということである。かくして日本人は誰でも「神代」の歴史物語に登場する神々を先祖にもつことになる。

記紀の「神代」は天皇家の御先祖につながる歴史物語である。同時にそれは全日本人の先祖につながる神話でもある。反日的な思想家・活動家たちは皇国史観に強い反発心を抱いている。デモで「日の丸は要らない」「天皇制は要らない」などと叫ぶ。彼らは天に唾をするようなものである。自分自身のアイデンティティを否定しているようなものである。

日本には万世一系の天皇がいる。天皇家は全日本人の家の宗家のようなものである。このようにしてこの日本には秩序が保たれている。このような歴史観が皇国史観である。皇国史観は全日本人の共通の先祖を崇める歴史観であり、天皇家ための歴史観ではない。

日の丸の国旗や「君が代」の国歌を尊重し、国旗に敬意を表し、天皇を崇敬し、「教育勅語」を道徳の基本とすることが、日本人のアイデンティティを高めることになる。子供の時から家庭で、学校で機会あるたびにそのアイデンティティについて教え込まれれば、この国は本当に素晴らしい国になる。上述反日的な思想家・活動家たちはそのような教育を全く受けていないからアイデンティティの不安を抱えている。アイデンティティの不安があるため、日本人でありながら反日的な活動をし、社会の秩序を乱しているのである。(続く)

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