2012年1月29日日曜日


新党結成の動きを注目する(20120129)

 新党結成の動きが加速している。男は新党がどういう理念を掲げるか注目している。もし新党が以下①から⑤にのべるような趣旨のことを凝集して理念に掲げるならば嬉しい。そうでない限り従来の立ち上がっては消滅していった一般大衆迎合の新党と何等変わりはない。

    皇統を断固守る。

Y染色体遺伝子は男子にしか受け継がれない。これに対してミトコンドリア遺伝子は男子にも女子にも受け継がれる。

恐れ多いが敢えて申し上げれば、神武天皇のY染色体遺伝子は最も若い皇族では秋篠宮悠仁親王に伝わっている。戦後マッカーサーによって皇籍離脱させられた旧宮家の直系男子にも神武天皇のY染色体遺伝子は伝わっている。

この神武天皇のY染色体遺伝子の継承を断固守る。


    日本の領海・領土・領空・排他的経済水域を断固防衛する。

世界地図を中国中心で見た場合の日本の防衛上の弱点について考えてもらう。
中国が第一列島線戦略の中で、奄美列島・沖縄列島・尖閣列島・八重山列島を占領する構想をもっている。中国は、尖閣列島は中国領であると公然と主張している。
(下記URLで引用する資料「中国共産党第2期日本解放工作要綱」ご参照。)

この資料には、「中国共産党第2期日本解放工作要綱」は昭和47年8月に掲載された国民新聞の記事であり現在でもこの綱領の威力は些かも衰えていないし、靖国・歴史認識・海底資源・戦争記念館・個人補償請求・人権擁護・安全保障理事国拡大等々の今日的問題は、この要綱に基づき今でも工作機関に逐次指令されているものと推測できる旨説明されている。


    韓国の反日的プロパガンダに対し断固対処する。

竹島不法占拠・日本海呼称・従軍慰安婦及び日本の伝統文化を韓国に起源があるとする韓国の国際的プロパガンダに対し、日本国家として強固に抗議し、対韓国逆プロパガンダを非常にスマートに品よく行う政府系機関を設立する。
(韓国のプロパガンダを放置していると嘘が真実のようになってしまうだろう。)


    外国人参政権・夫婦別称・人権侵害救済の諸法案は絶対実現させない。

中国・韓国・北朝鮮は日本の弱体化を狙っている。本来国家は野獣のような利己的な側面がある。日本国家は憲法前文にあるような「平和を愛する諸国民の公正と信義」は、本来国家にはない。それを恰も国家にあるごとくこれに「信頼」するのは日本人だけの美徳であり、中国・韓国・北朝鮮の諸国民の深層心理は、日本が自分たちと同じような夫婦別称の国になり、日本を見下げることである。

その深層心理の延長線上に外国人参政権・人権侵害救済の諸法案が実現することを期待する心理がある。

わしのようにちょとした愛国的発言をする者を抑圧しようとするのが人権侵害救済の法案である。この法案は反対が多かったためか名称を変更し、法案の意図を巧妙に隠し表に出さない表現になっている。

これらの法案には日本古来の精神性を破壊する目的が潜めている。最終的には日本から天皇を無くそうとする目的がある。

その目的を達成しようとする思想は「人民主権」「社会契約」を主張し、国家よりも個人を尊重するというルソーに遡ることができる。

共産主義思想信奉者・中華思想の権現である中国共産党は非常に長い時間をかけて自分たちの戦略を着々と実行に移している。表向き「人民のため」であるが、隠された意図は「中国共産党のため」である。これは一つの「王朝」であり、中国歴代の王朝と大して変わっていない。中国の農民は都市に自由に戸籍を移ることができない。中国共産党員はかつて中国で行われていた「科挙」試験に合格したエリートと変わらない。このエリートたちの出身は昔同様必ずしも漢族でなくてもよい。


    「政道」と「商道」を混同しない。

日本国家の「政道」は上記①及び②を柱にし、国民の安寧・繁栄を実現することである。これにより日本古来の精神性は維持され、高められ、日本は諸国の民に尊敬され憧憬される国であり続けることができる。

「商道」は日本国家が「政道」をまっすぐ歩み続けるため必要なサブウエイである。これを正しく歩むことによって世界中から人々が日本に来訪し、日本人もまた世界中に安心して出かけられる。国境はあるが許されたものだけが自由に往来できる。

与野党の別なく一部の有力政治家は「政道」の何たるか、「商道」の何たるかをわきまえず、軽々に日中韓主軸の経済共同体を推進しようとしている。

「政道」には国境はあるが「商道」にはそれがない。「政道」の何たるか、「商道」の何たるかをわきまえない政治家たちは、アメリカに対抗してEUのような政治・経済・防衛の統合体を理想と考える人たちがいる。

彼らに共通しているのは日本の歴史観(単なる「歴史」に非ず、日本神話を日本人の精神性の要であるとする観方)の欠如であり、結局国家観の欠如である。