2012年1月30日月曜日


Facebookについて考える (20120130)

 Facebookに違和感があるという人が多いかもしれない。TwitterSNSではない。一方SNSであるFacebookは友達として承認するとフォローをしなければならない。友達が多いとフォローも大変で、そのためにかなりの時間を割かなければならない。「いいね!」をするためリンクされたYouTubeやニコニコ動画を見たり、記事を読んだりしなければならない。いいかげんに「いいね!」をするのは良くない。

 「あいさつ」があれば、その方のウオールを開いて投稿記事を読んだ上で「あいさつを返す」ことになる。Facebookの友達の誰が今日誕生日であるか通知がるので、今日が誕生日にあたる人のウオール投稿記事を読んだりしてお祝いのメッセージを送る。Facebook側にも何かシステム上の誤りがあるのかどうか、一旦「誕生日おめでとうございます」とメッセージを送ったのにもかかわらずそれが届いていなかったような表示になっていて、「彼にはメッセージをおくったのに」と思いながら誕生日を祝うメッセージを送ってしまうことがある。SNSとして人と人とのつながりを作るFacebookでは、このように煩わしい部分がある。その一方でそのつながりにより、これまで知らなかったことを知ることになり、情報を拡散したり集団行動に参加したりするので、Facebookは社会を動かす大きな力にもなる。Twitterにはそのような力はない。「言い放し・聞き放し」である。Twitterにも個人的なメッセージのやりとりができるが、あくまで当人の間だけのことである。

 Facebookに違和感を持つ人たちの中にはこのような「人と人とのつながり」に煩わしさを感じる人たちがいると思う。Facebookがある社会的問題を共有している人たちが大多数を占めている場合、その共有が無いか、少ない人たちにとっては、Facebookはあまり面白くないと思うだろう。それよりも「言い放し・聞き放し」のTwitterの方が気が楽だと感じるに違いない。

 スマートフォンでいつでもどこでもFacebookにアクセスできる。ブログをやっていればそのブログに投稿した記事についてFacebookに紹介をすることもできる。Facebookは時間を多く取られ煩わしい部分もあるが、社会参加をしていて何か世の中に役立っているという満足感を持てる。それは自己満足かもしれないが・・。

 Facebookで多くの時間を取られることについては、情報の取捨選択能力が高まるにつれ、時間をもっと能率的に使うテクニックが身に付いてくる。スマートフォンの利用により時間をさらに効果的かつ能率的に使うことができるようになったように思う。

Facebookに投稿する記事を楽しみにしてくれている人がいる。人生の先輩でもあるので、それなりの記事を投稿することを心がけている。Facebookの友達が自分を「先生」と呼ぶのことについては違和感があるので丁寧にお断りしている。「さん」付けでお願いしている。しかし自分自身として「先生」でなければならぬとも思っている。そういう心掛けがまた自分自身を成長させてくれるだろう。Facebookに違和感を抱いているFacebook上の友達もいるかもしれないことを念頭においてFacebookを楽しもうと思う。