2012年8月17日金曜日


人生(20120817)

 男と女房はこれまで独り暮らしの婆さんを看るため、年に4、5回帰っていた。婆さんが老人施設に入居するまでの間は、婆さんを看るため帰ったときは四六時中婆さんと顔を突き合わせていた。婆さんと我々とでは食べ物が違うし、食事のときは婆さんがいつも居る居間で畳の上に座って一緒に食べていた。男は別の部屋でインターネットに接続できるように線を引いてその部屋に居場所を持っていたが、女房にはそのような居場所はなかった。今、婆さんは老人施設に自分から申し出て入居してくれているので、この家に帰ったときは男も女房も誰にも気づかうことなく、のびのび過ごすことができている。

 婆さんがこの家で独り暮らしをしているときは気楽に旅行もできなかった。今では安心して旅行もできる。男と女房は以前婆さんを二度連れて行ったことがあるある温泉地に一泊した。その温泉地はこの家からタクシーで片道3000円ほどかかる山間部にある。今回泊まった宿は、以前泊まったことがある観光ホテルのすぐ近くにある。其処は「この宿の雰囲気はよさそうだ、一度泊まってみたい」と思っていたひなびた旅館で、全部和室である。夕食は会席料理が部屋に運ばれるが、朝食は畳敷きの広間で家族ごと座って食べる。

 その旅館には露天風呂に続く洞窟の風呂もあり、露天の家族風呂もある。洞窟の風呂は毎朝6時から9時までは女性が使用できるようになっている。夜間だと多分物騒に感じるから女性には早朝から利用できるようにしてあるのだろう。男と女房はその旅館に着いてすぐその家族風呂に入った。そこは予約制であり一回30分と決められているが、この時期に宿泊客が少なかったので女将から「ずーと入っていても良いですよ」と言われていた。湯船は二人が入るのに丁度よい大きさである。隙間がある違い板の囲いの内側にちょっとした木立とかつて田舎で使われていた粉を作る石臼などがあり、囲いの向こう側は山の斜面でその上に空が広がっている。蝉の鳴き声が聞こえてくる以外、外は全く静かである。

 男は何十年ぶりかで女房の背中を流してやった。女房も男の背中を流してくれた。夫婦になって来年は50年になる。二人の息子たちもそれぞれ立派な社会人として、良い家庭を築いている。男の血統を受け継ぐ孫息子もいる。男も女房も良い人生だったなと思う。今何一つとして不自由はない。身の回りに自分たちを飾るような「光る物」は何一つないが、それを欲しいとは全く思わない。男も女房も、日々の暮らしに最低限必要な機能的な道具・器具さえ有ればそれで十分であると思っている。

 野の草花、小鳥、風景など自然の世界には宝物が一杯ある。それに気づけば、日一日が楽しい限りである。かくして男も女房もその肉体は宇宙の時間の経過とともに徐々に朽ちてゆく。そしてやがて土に還る。男も女房も日々死支度をしながら生きている。