2012年8月31日金曜日


日韓関係の改善のために(11)(20120831)

 政府は東京都が申請していた尖閣列島買い取りの為の上陸を認めない方針である。その一方で、シナ(中国)では、四つの都市で反日デモが起きている。これは、シナ(中国)政府が、日本政府が東京都の申請を許可しないようにするための巧妙な工作を行った結果であると考えられる。シナ(中国)政府は反日デモが必要以上に拡大しないように、非常に上手に情報操作を行っているようである。

 今回の政府の判断は日本の現状では止むを得ないところであろう。通常兵器においては日本はシナ(中国)を上回るものがあると思うが、日本は核兵器を保有していない。北朝鮮のように貧弱な国でも核兵器を保有しているため日本は怯えている。同盟国アメリカは議会の承認なしには日本防衛のための核兵器使用を含む行動をしない。日米安保があるから大丈夫だと普通一般の人々は思っているだろうが、いざと言うときアメリカはすぐには行動できないのだ。そこのところを普通一般の人々は理解していない。

 結局のところ日本は通常兵器によるか、もしくは北朝鮮のように核武装して、尖閣列島周辺や日本の排他的経済水域内でのシナ(中国)の行動を抑え込むことしかないのである。日本は、尖閣列島周辺や日本の排他的経済水域内でシナ(中国)が軍事的行動をすることをあきらめざるを得ないような強い軍事力を保有する必要がある。韓国から「軍国主義の復活」と非難されようと、日本は東アジアで生き残ってゆくため最善の道を選ばなければならないのである。呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。

 “李朝では後嗣がいないとき、王位継承者の指名権は王妃にあり、大妃(王の父の妃)が生存している場合には大妃に指名権があった。哲宗には安東金氏の一族から出た妃があったが、当時は豊壌趙氏一族出の趙大妃(第二四代王憲宗の父翼宗の妃)が生きていた。そこで趙大妃が王に指名したのが、傍系王族興宣君の第二子命福だった。これが第二六代朝鮮国王高宗である。

 高宗はこのときわずか十一歳だったので趙大妃が摂政となったが、趙氏一族は高宗の父の興宣君に国王を補佐させて政治の実権を行使させることにした。李朝では生存する国王の父を「大院君」と称したので、興宣は興宣大院君と呼ばれた。この興宣が政治的な采配をふるって歴史上に大きく名を残したため、以後の朝鮮では大院君と言えばそのまま興宣大院君を指すようになった。

 興宣は没落した傍系王族の出身であり、しかも実力ある外戚の後ろ盾にもなっていなかった。大妃を擁する趙氏一族としては、これまで勢道(せいどう)政治(王の外戚という権勢をもっての政治)をほしいままにしている安東金一族の勢力を抑え、自らの勢力を伸長させなければならなかった。そのため、なんらの勢力背景をもたない興宣と結び、その若年の子を王としたのである。(続く)”