2012年11月15日木曜日


日韓関係の改善のために(87)「日清戦争への道(続)(20121115)

 『WEDGE 11月号』に京都大学名誉教授中西輝政氏の寄稿が掲載されている。『「都知事が引き金」は思うツボ 反日デモは戦前から 中国は被害者ヅラで「反日」続航』と題する記事である。冒頭に「この20年間 日本人の多くが、中国に対する誤った想念に衝き動かされてきた。今回の尖閣危機を契機に、日本はチャイナリスクを強く再認識し、実効支配強化へ向けた計画と備えを行うともに、安全保障体制の強化が必要だ。」との一文がある。マスコミは “折角、現状凍結で棚上げされてきた尖閣問題だったのに、日本政府が911日に行った国有化の決定が今回の大きな騒動を引き起こしたのだ”と主張している。これはマスコミが一般大衆に新聞・雑誌を購入してもらって収入を増やそうとするためであろう。一般大衆はこのようなマスコミにより誤った国家観を持つようになる。一方、政党は政党で得票を狙うためそのような大衆に迎合している。これは現行の統治システムに問題があるからであろう。

 この記事の中で、私も初めて知ったが、丹羽宇一郎駐中国大使が“「将来は大中華圏の時代が到来します」「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」(『WILL 20127月号)”と発言していたことに非常な驚きと憤りを覚える。

商いの道「商道」は商いを通じて人々や物資の交流・文化の交流・言語や文化の異なる人々同士の相互理解・国家間の互恵と平和をもたらす。しかし「商道」はあくまで「政道」の管理・統制下にあるべきものである。正しい「政道」の下に正しい「商道」が活発に行われることによってのみ、国家は安全に平和に幸せに生きることができるのである。商人の発想だけでは国家は存続できない。日本がシナ(中国)の属国になり下がって良いものか!彼にはその辺の認識に欠けていると思わざるを得ない。

「属国」とはどういう意味を持つのか。今から108年前の朝鮮で農民たちによる武装蜂起が起きたとき、シナ(清国)は「属国保護」の名目で軍隊を派遣している。それも当時の李朝国王と閔氏政権の要請に基づいて行っている。もし仮に、国家観の無い人物が多数を占める政党の政府がシナ(中国)の属国になる道を選択した場合、108年前と似たようなことが必ず起きることになるだろう。

問題を解決する能力に非常に優れている人物でも、問題を発見する能力が欠けている者には気を付けなければならない。潜在している問題を発見する上で障害になっているものは、「知識」「感情」「文化」の三つである。謙虚になって真剣に歴史を学ばない限り、問題の存在には気が付かない。中西輝政氏が言う「シナ(中国)に対する誤った想念」は其処から生じる。社会的に影響力がある学識経験者や文化人たちの言葉にマスコミは関心を示す。一般大衆は知らず知らずのうちに誤った想念を抱くようになる。

日本がシナ(中国)の属国になることが、「日本が幸福かつ安全に生きる道」であるとはとんでもない発言である。現代の日本にも李氏朝鮮当時の李朝の年寄りたちと同じような考え方をもつ人々がいることに注意する必要がある。これは、戦後生まれの団塊の世代の人たちに多いかもしれない。これは戦後教育の欠陥が露呈した現象である。

 金玉均らによる甲申クーデター失敗後、1885年(明治184月、伊藤博文と清国の李鴻章が天津で会談し、日清両国の間で「天津条約」が成立し、朝鮮半島から日清両軍は一切の兵を撤収した。その9年後、上海で李朝が差し向けた刺客により暗殺された金玉均の遺体収監さきの朝鮮で遅刑に処せられ、彼の実父の金炳台も絞首刑に処せられた。その後農民の武装蜂起があった。「甲午東学党の乱」と言われる。その東学は儒教・仏教・道教を合わせた独自の教義をもち、西のキリスト教に対して東の学ということで「東学」と呼ばれていた。その教義は“「斥倭洋倡義(せきわようしょうぎ)」(日本と西洋を斥けて朝鮮の大義達成を唱える)”というものであった。

“これに対して国王高宗と閔氏政府は清国に鎮圧を要請する。清国は天津条約に基づいて日本に軍隊派
遣の事前通告を行っている。それを受けた日本もまた清国へ事前通告を行い、日本公使館と日本人居留民の保護を理由に仁川に軍艦を派遣し、六月一〇日に兵力の一部を漢城に入れる。
日清開戦の危機である。” (以上、呉善花著『韓国併合への道 完全版』より“”で引用。)

呉善花著『韓国併合への道 完全版』には書かれていないが、東学党の乱の鎮圧のため介入したシナ(清国)の通告文には「属邦保護」の文字があった。陸奥宗光外相は直ちに「朝鮮国が清国の属邦たることを承認せず」と反論している。

(関連:2012117日水曜日『日韓関係の改善のために(79)「自主独立を目指したクーデター(続)」(20121107)
及び20121110日土曜日『日韓関係の改善のために(82)「日清戦争への道(続)」(20121110)

(続く)