2012年11月20日火曜日


日韓関係の改善のために(92)「日清戦争への道(続)(20121120)

一口に‘朝鮮半島人’と言っても漢族などの混血である。しかし韓国では帰化人の存在とその文化的影響について沈黙しているという(Wikpedia).。このことはさておいて混血という意味においては朝鮮半島人も日本人と同じである。ただ日本人の場合、分厚い基層集団としての縄文人のDNAを受け継いでいるが、そのDNAには朝鮮半島人に存在しない、もしくはあるDNAについては、朝鮮半島南部に僅かしか存在しない特殊性がある。(関連:201255日土曜日『発掘された人骨から復元した原日本人の顔立ち(20120505)
201271日日曜日『古代、記録に残っている渡来人の数(20120701)』、

朝鮮半島における帰化人のことについてWikipediaから以下に“”で引用する。
“高麗時代前時期にかけて朝鮮に異民族が帰化した数字は238000人余りに達する。帰化した漢族は国際情勢に明るく、文芸にたけていて官僚にたくさん進出した。帰化した渤海人は契丹との戦争に参加して大きい功績を立てた。崔茂宣に火薬製造技術を伝えた人物の李元も中国、江南地方出身帰化人である。帰化した女真族は北方情勢を情報提供したり城を築いたり、軍功をたてて高位官職になった者もいる。李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身でこの地域の女真族を自身の支持基盤とした。”

李氏朝鮮は、高麗の武将・李成桂が1374年に高麗王・恭愍王を殺して自ら高麗王になって以来、1910年、日本による韓国の併合まで続いた。但し、1894年(明治27725日、李氏朝鮮は日本の力によってシナ(当時、清国)との宗属関係を断ち切り、当時の朝鮮王は1897年(明治30)「大韓帝国皇帝」として、国家元首になっていた。朝鮮は500年間余りのシナの属国になっていたので、いち早く近代化を成し遂げた日本が望んでいたような「自主の邦」になることは到底出来なかった。日清戦争は当時の朝鮮に日本が介入せざるを得ない状況により勃発したものである。それを「侵略」と言うのは間違っている。

日清戦争の経緯について岩間 箸『決定版 大東亜解放戦争 上巻』(創栄出版)より“”で引用する。
“日本軍の・・(中略)・・歩兵第二十一聯隊第二大隊を中心とする部隊が王宮(景福宮)に進入して景福宮を占拠し、国王に大院君を執政とするとの詔勅を出させて、閔氏一派を政権から追放し閔氏一族は逃走した。政権の座に復帰した大院君は直ちに、七月二十五日、清韓宗属関係の廃棄を宣言し、牙山駐屯の清兵の駆逐を我が国に要請した。
明治二十七年七月二十五日、日清両海軍は、朝鮮西岸の豊島沖で遭遇交戦し、日本艦隊は(これを)撃滅した。日清戦争の開戦である。”(続く)