2012年11月24日土曜日


日韓関係の改善のために(96)「シナ(中国)とどう向き合うべきか(20121124)

 シナ(中国)人が古来日本をどう見ていたかは、『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(岩波文庫、昭和21年)や『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』(岩波文庫、昭和31年)を読めばわかる。シナ(中国)人が日本人を嫌うようになったのは、元寇以降のようである。シナ(中国)皇帝が日本を以前のように「倭」と言わず「日本」と言うようになったのは、モンゴル人がシナ(中国)の皇帝になった元の時代以降である。舊唐書倭国日本傳(旧唐書倭国日本伝)には「日本國者倭國之別種也」(日本国は倭国の別種なり)という記述がある。

旧唐書倭国日本伝は西暦904年、唐王朝滅亡後、五代後晋(936946年)(日本では平将門の乱があった頃)の劉昫(887946年)らの奉勅撰の巻一九九上・東夷傳のうちに収められている。古来シナ(中国)人(漢族)は自分たちの文化の中心を「中華」と呼び、周辺国はその文化の恩恵を受けていないとしてきた。「夷」はもともと「殷」(紀元前1550年頃から紀元前1066年頃)の人々が東の地域に住んでいた小柄な未開人種を指して「夷」と呼んで蔑視していたものであった。

「殷」人は周辺諸族を征服し混血した。「殷」の後に興った「周」(紀元前1066頃~紀元前222年)は、「殷」に敵対する諸族と連携して強敵「殷」を倒して成立した国家である。漢族が言語文化が異なる諸族・諸人種を従えることができたのは「漢字」を発明したお蔭であった。「周」は「殷」の時代に祭祀・占い用であった文字をコミュニケーションの手段にした。「周」の時代にも周辺諸族・諸人種の間で混血が一層進み、現在の漢民族になった。漢民族は元々の漢族が周辺の部族・異人種を征服し、混血して成り立った民族である。

元々、縄文人と長江中流域から渡来してきた弥生人の混血種であった原日本人が住んでいた日本列島には、特に後漢滅亡(西暦219年)以降、主に朝鮮半島から漢人(漢民族)や韓人(朝鮮民族)らが次々と渡って来て、日本人と混血し、同化し、現在の日本民族になっている。言語や文化が異なっていても「漢字」によって十分なコミュニケーションが行われ、渡来人たちの中から有能な人たちは朝廷に仕え、日本の発展に多大の貢献をした。万世一系の天皇は彼らに然るべき氏姓と官位を与えた。頼山陽は『日出る処』という漢詩の中で、「贏顚劉蹶趁日没 東海一輪依舊出(贏(えい)は顚(たふ)れ劉(りゅう)は蹶(つまづ)きて日没(にちぼつ)を趁()ひ東海(とうかい)の一輪(いちりん) (きゅう)に依()りて出()ず)。(贏(えい)氏の建てた秦の国も倒れて滅び、劉(りゅう)氏の建てた漢の国も蹶(つまづ)いて転ぶように亡んでしまった。それは、あたかも落日を追うが如くであり、次から次へと王朝が倒れている。それに反して、東の海からは、一輪の太陽が、もとと変わらず差し昇るのである。それは、わが国の皇統が万世一系で太陽の如く窮(きわま)りないのに似ている。)」と詠っている。日本人は頼山陽が詠ったこの詩の意味を今一度かみしめて味わうべきでる。

その漢字を導入した日本はシナ(中国)からみて「東夷」、すなわち「東方の未開の国」であった。今でもシナ(中国)は日本のことを「小日本」と言って蔑視している。シナ(中国)が東シナ海にある尖閣諸島を先ず狙い、ゆくゆくは沖縄・奄美・先島(八重山)諸島を占領しようと狙っているのは、その心理の深層において古来、シナ(中国)に従属しようとしてこなかった日本、すわなち「東夷」を攻め滅ぼして「大中華圏」に囲い込みたいということであろう。その意思はすでに北朝鮮において着々と実行されつつある。韓国も「反日」思想のためシナ(中国)と連携を模索しているが、しっかりした国家観を持っていない限り、折角日本が128年前、正に血のにじむような努力をしてシナ(当時清国)との宗属関係を断ち切ってやったのに、またシナ(中国)の支配下に入ってしまうことになるだろう。朝鮮半島はアメリカと日本の力なしには、いずれ満洲のように、シナ(中国)に同化した地域になってしまうことだろう。(関連:201283日金曜日『沖縄・尖閣・八重山各列島の防衛(20120803)
2012915日土曜日『人民解放軍将官10人、釣魚島について共同声明を発表(20120915)(緊急投稿)』

因みに漢民族を征服し、元朝を興したモンゴル人は「北狄」(北方の未開人)であった。「狄」という文字は「火を燃やして犬を横に追い払う」という意味がある。漢民族は既に内モンゴル自治区を支配し、混血を進め、モンゴル族をシナ(中国)に同化させつつある。シナ(中国)北部中ほどにある「青海」・黄河源流域から甘粛省東部にわたる地域に住んでいたチベット系ないしトルコ系の人々は「西戎(せいじゅう)」と呼ばれていた。その少数民族もいずれ漢民族に圧迫され、漢民族と混血・同化してゆくだろう。「戎」には「つわもの・武器を持つ兵士」という意味がある。

またシナ(中国)人はインドシナをはじめとする南海の諸国は「南蛮」と呼んでいた。「南蛮」には「南方の野蛮人」という意味がある。南シナ海に浮かぶ南沙諸島など手中に収めようとしているのは、シナ(中国)の大中華思想において「南蛮」である東南アジア諸国をその「大中華圏」内に囲い込みたいという意志の顕われであろう。

日本は古来「中華圏」の外にあって、常に自主独立してその文化・文明を高めてきた国である。「大東亜解放戦争」に敗れ、アメリカに「降参」したが日本の国体は守り通された。それは東条英機元首相ら七人の烈士たちのお蔭である。日本はこれからも「大中華圏」に加わらない独自の文化・文明圏である「日本圏」ともいうべきものを護ってゆかなければならない。「南蛮」と蔑まされていた東南アジア諸国の独立の維持のためにも・・。