2012年11月3日土曜日


日韓関係の改善のために(75)「日本人のアイデンティティを考える(20121103)

 東京大学や国立遺伝学研究所などで作る「日本列島人類集団遺伝学コンソーシアム」が、北海道のアイヌ民族は地理的に近い関東よりも、沖縄の人たちと遺伝的に近いことがDNA解析から証明されたとする研究成果をまとめたということが讀賣新聞に載っていた。日本列島には、1万数千年前には彫の深い顔立ちの縄文人が住みつき、約3000年前以降に大陸から弥生人が渡来し、本州、九州などでは混血が進む一方、日本列島の南北の端には縄文系の子孫が残り、混血は一部にとどまったという。(関連:このブログの201255日土曜日『発掘された人骨から復元した原日本人の顔立ち(20120505)』)

 この渡来系弥生人のルーツはシナ(中国)の長江流域にあったことが環境考古学などにより推定されている。黄河文明よりも1000年も文明を開化させていた長江流域の稲作・漁労の民は、気候変動の影響で北方から南下して来た畑作・牧畜の民である漢族に圧迫されたため、奥深い山地に逃れ、一部は長江河口から海を渡って、その一派は北上しシナ(中国)の遼東半島から黄海を渡り朝鮮半島南部を経由して北九州にやってきたし、別の一派は船で太陽が昇る方向に向かって九州南部に渡ってきた。彼らはジャポニカ種の稲作文化を日本列島に持ち込んだ。彼らは初め木の実や魚介類を主食としていた縄文人たちと住み分けていたが、後に混血して日本人の基層集団(古墳時代人)が形成されたのである。

朝鮮半島南部には「倭人」と呼ばれる人たちが展開していたためか、日本人に多いミトコンドリア遺伝子タイプM7aがわずかに分布しているそうである。しかし其処には、日本人に多いY染色体遺伝子のタイプD2は存在していない。勿論それはシナ(中国)大陸にも存在していない。それはシナ(中国)大陸や朝鮮半島には、しばらくの期間存在していたかもしれない。しかしその地域では、Y染色体遺伝子のタイプD2を有する男系の子孫は途絶えてしまったのかもしれない。かくして、日本人とシナ(中国)人、或いは韓国・北朝鮮人とは、遺伝子的に相違がある。沖縄の人々は遺伝子的にも明らかに日本人と同じであって、シナ(中国)人のそれとは違うのである。

古代において沖縄には大和朝廷の影響が及んでいなかった。17世紀に薩摩藩が徳川幕府の了承のもと琉球王国に侵入し、琉球王国の軍事・外交面を支配していたが、明治維新後新政府は琉球王国にシナ(当時、清国)との朝貢関係を断ち切らせ、古代の律令国のようにする手続きを経て「沖縄県」にしたものである。日本にはシナ(中国)による思想工作の影響を受けて「琉球独立」を唱える左翼活動家らがいるが、彼らに対し「お前らは日本人か」と言ってやりたい。元首相は「尖閣は領土問題である」と公言した。彼の愚かぶりにはあきれてしまう。シナ(中国)が尖閣諸島は14世紀からシナの領土であったと言うのはとんでもない言いがかりである。其処は琉球王国の領土であったのだ。(続く)