2012年11月18日日曜日


日韓関係の改善のために(90)「日清戦争への道(続)(20121118)

 尖閣諸島ではシナ(中国)の公船4隻以上が連日接続水域を航行し、ときどきわが領海に侵入して来ている。わがCOAST GUARD(沿岸警備隊=海上保安庁)の巡視船は彼らの横に着いて航行し「領海に近づくな」と警告を発して続けている。彼らは「我々は任務を遂行している。此処はわが領土である。」などと応答している。これは狼の群れが獲物を狙って近づこうとしているとき人間がその狼の群れを追い払おうとしているような状況に似ている。これが既に28日間続いている(16日現在)。

シナ(中国)の狙いは「①先ず紛争を誘発し、②外交問題に発展させ、③紛争の原因が「領土問題」であることを世界に認めさせ、④日本が尖閣諸島は日本固有の領土であり、そもそも「領土問題は存在しない」と言っていることを撤回させ、「領土問題にしてしまう」ことである。その手にうっかり乗ってしまわないことが肝要である。またシナ(中国)が仕掛けるかもしれない謀略のあらゆる可能な行動を列挙し、それに対処する要領を造り上げ、それを絶えず改良し、彼らに絶対に隙を与えないようにしなければならない。

 さて、今からおよそ118年前、そのシナ(当時、清国)と日本の間で戦争が勃発した。1882年(明治1510月、清国は李朝との間に「清国朝鮮商民水陸貿易章程」を調印した。そこでは李朝が清国の属国であることが明記され、その宗属関係に基づいて、清国が朝鮮との貿易上の特権を独占することを規定している。「属国」とはそういうことである。以下、呉善花著『韓国併合への道 完全版』から“”で引用する。(関連:2012103日水曜日『日韓関係の改善のために(44)「李朝への干渉を強化する清国」(20121003)』)

 1894年(明治27“日本は、七月二二日を回答期限として次の要求を李朝政府につきつけた。
   清国軍の撤兵を要請すること
   実質的な宗属関係を規定する朝清通商貿易章程を破棄すること。
李朝政府は回答せず、これが最後通牒となった。
翌二三日午前三時、日本兵が漢城城内に入って諸門を固める。続いて歩兵第二一連隊第二大隊を中心とする部隊が王宮(景福院)に侵入して景福宮を占拠。国王に大院君を執政とするとの詔勅を出させて閔氏一派を政権から追放。漢城の朝鮮軍部隊を武装解除すると、二五日には日本海軍が牙山湾沖で清国の軍艦を砲撃して日清戦争が勃発、二七日に大院君の任命による金弘集内閣の成立と続く。

一八九四年(明治二七)一〇月中旬には、親日政権打倒をめざす「斥倭斥化」(日本を斥け開化を斥ける義)をスローガンとする東学軍の第二次蜂起が起こるが、日本・李朝政府連合軍に鎮圧され、翌年の一八九五年(明治二八)一月までにはほぼ掃討された。”(続く)