2012年11月4日日曜日


日韓関係の改善のために(76)「自主独立を目指したクーデター(20121104)

 金玉均らが起こしたクーデターは、朝鮮のシナ(清国)からの独立を目指すものであり、国王高宗の暗黙の承諾のもとに行われた。福沢諭吉は金玉均らによるクーデター計画を支持し、金玉均に“実行のために必要な日本刀、弾薬、拳銃など”必要な物資を送っている。金玉均はクーデターの実行にあたって、予想されるシナ(清国)軍の介入に対処するための手を打っていた。それは“竹添公使率いる一五〇名の日本兵、独立党関連の一〇〇名ほどの勢力、王宮警護の李朝軍が一丸となって、予想される清軍との戦闘を、できるだけ長くもちこたえ”、“世界を巻き込”むことであった。世界とはロシアを共通の敵とする英、独、仏およびアメリカである。
 予想どおり袁世凱率いるシナ(清国)軍1300名が介入してきた。国王一家を守るべき李朝側の兵士たちは至る所で崩れ、逆に清軍に加勢する者もでる始末で、結局日本兵士150名だけで戦わざるを得なかった。(“”内は引用。以下同じ。)

 クーデターは“一八八四年(明治一七)一二月四日(甲申一〇月一七日)夕刻、郵政局開局の祝宴が開かれた”ときに決行された。祝宴“出席者は一八名、政府要人数名と各国代表のほか、独立党からは洪英埴、朴泳孝、金玉均、徐光範、尹致昊が参加した。なお竹添公使は欠席し、島村書記官が代理で出席した。なお竹添はいつでも出勤できるように、日本公使館で待機していた”、クーデターはその宴会の最中実行された。このクーデターは“尹致昊には、計画は知らされておらず、彼はアメリカ公使フートの通訳として出席していた。”
 このクーデターは、別宮や近くの民家への放火により王宮内で混乱を起こすという方法で行われた。“<それぞれ酒杯をまわしての交歓がはじまったころ、突然外から「火事だ、火事だ」という叫び声が聞こえた。私(尹致昊)は自宅が近くなので心配になり、窓を開けて外を見ると、天高く火炎が立ち昇って。しかも火は郵政局近くの民家から起こっている。・・(中略)・・フートの話が終わるとすぐに、閔泳翊が悲鳴をあげながら宴会場に駆け込んできた。一同総立ちになって彼をみると、顔面から肩にかけて鮮血が激しく流れている。来客は驚いて右往左往し、窓から飛び出したり、慌ただしく走り去ったりする者もあり、場内は混乱状態に包まれた。
 私はアメリカ公使とともに、みんなの後から宴会場を出たが、そのときすでに、金玉均をはじめ、主人役の洪英埴、朴泳孝らは、いつのまにか姿を消していた。それによって、私ははじめて、今夜の出来事が、金玉均一派がクーデターの決起に出たものであることを知ったのである>(朴穀陸〔古筠会編〕『金玉均伝』慶応出版社所収、尹致昊の談話より筆者がリライト)

 閔泳翊は宴会場から外へ出たところで、待機中の日本人抜刀要因総島和作(後に暗殺)に切りつけられて耳を落とされ、再び宴会場に戻ったのである。李圭完らが抜刀して場内に突入したが、混乱の中で刀を振ることができず、予定に従って、朴泳孝邸へ参集して命令を待った。”
 金玉均、朴泳孝、徐光範の・・(中略)・・三人が日本公使館に着くと、日本兵士が公館前に整列して出動態勢をとっている。”この日本兵士は後に袁世凱率いる1300名の清国軍と戦った。(続く)