2009年7月3日金曜日

日本と中国・韓国・北朝鮮の関係(20090703)

某紙に中国の復旦大学国際問題研究院常務副院長沈丁立という方が朝鮮半島の現状についてインタビューに答えている記事が男の目にとまった。折しも、北朝鮮の貨物船が米軍の追跡を受け、ミャンマーに向かっているという報道があった。また、北朝鮮の指令を受けて在日朝鮮人の貿易会社社長が日本からミサイルの機器をミャンマーに輸出しようとして逮捕されたという記事もあった。北朝鮮は過去にミャンマーに武器を輸出し、見返りにミャンマーから米を輸入したということである。
沈氏は、「アメリカは最後に北朝鮮の核兵器を受け入れるのは間違いない、国際社会はこれを阻止する能力はない、核を放棄しない北朝鮮に他国を侵略させてはならない、侵略しようとするなら韓国と日本をさらに刺激し、中国にとって大きな脅威となる、アメリカが台湾に武器を売却する以上、中国が信用できないのはアメリカであり、北朝鮮は在韓米軍への対応で役に立つ、それゆえ中国は北朝鮮に食糧、石油、化学肥料などを提供して北朝鮮を養い、わが方につなぎ留めている。」と言う。
男はこの記事を読んでふと飛鳥・奈良時代の中国(当時、唐)、朝鮮(当時、百済、新羅、高句麗、渤海)と日本(当時、倭国)の関係を思い浮かべ、書物で調べ確認した。日本は百済を救い朝鮮半島における日本の権益を守ろうとして安曇比邏夫を総指揮官に、総勢42千人、軍船約1千隻を朝鮮半島に送り、663年百済の白村江で海(黄海)からの唐軍、陸からの唐・新羅連合軍の挟み撃ちにあい、大敗し、朝鮮半島における権益を一切失った。しかし、その時朝鮮半島(百済)から数千人の有能な人材を難民として受け入れた。
日本はそれ以前もそれ以降も朝鮮半島から半島における政変の度に何万人以上の有能な難民(当時半島を支配していた非常に多くの中国人を含む)を受け入れ、中国に対抗する律令国家建設のため力を発揮してもらった。その後数世紀の間に帰化人と倭人(当時の日本人)との間で混血が進み、皆、日本人となった。『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書、竹田恒泰著)は、「現在の日本で在日と呼ばれる人は、日本に来た時期が異なるだけで(飛鳥時代の帰化人たちと)本質的には同じであるまいか。今後混血が進むと、将来の日本人の先祖となるのであり、それは日本人にほかならない。」とおっしゃっている。
白村江の戦い以降、新羅は朝鮮半島から唐を追い出し、高句麗を滅ぼしたが、北方に高句麗などの流れをくむ渤海が興り、727年に日本と渤海が国交を結び、中国(唐)と渤海の関係が緊迫化し、唐と新羅が接近するという状況があった。
明治時代、日本は朝鮮半島から中国(清)を追い出し、中国の遼東半島の領有をねらったロシアを追い出した。モンゴル人が中国の皇帝であった元の時代には朝鮮半島は元に領有されていて、朝鮮半島人の兵や朝鮮半島で調達された軍船による10万人規模の大軍が2度にわたり日本に侵攻してきたが、神風が吹いて日本は救われた。
日本は古代からずっと中国大陸や朝鮮半島との関係で独立と安全を脅かされてきた歴史がある。男は、いつまでも大東亜戦争の敗戦のトラウマに囚われ、平和ボケしている日本人、特に男と年代があまり違わない年寄り世代の人には各界から早々に身を引いてもらい、若い世代の人たちが将来の日本をリードしてゆくようにすべきであると思っている。

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