2009年7月4日土曜日

贈答(20090704)

 男の家に昨日田舎から野菜や米を送って来た。男の女房が幼少のころから思春期の頃まで、親代わりになって育ててくれた叔父・叔母からである。男とその叔父とは血の繋がりはないが、多分何百年か遠い昔には血が繋がっていたかもしれない。叔母とは男の祖母の親類筋から嫁に来ているので、男とはそういう意味で血が繋がっている。

 男の家には女房と年は10歳くらいしか離れていず姉のような叔母からも時々野菜や米、時には土地の美味な海産物まで送ってくる。お互い話し合っているのかどうか知らないが交互に送って来るので、男の家では米を買うことは殆どない。もっとも男の家の朝食はパンであり、いつもパンを買う店で新しいパンが焼きあがったときなどもパン食であるし、ご飯もお茶碗に軽く一杯なので、米の消費量は普通の家に比べてかなり少ない。そのため米を買うことが少ないのである。送ってくる米はコシヒカリであり、精米したてのものなので、その辺で古い米とブレンドされていないかどうか疑い深く買う米よりは数段おいしい。野菜は二人で消費しきれないほどなので、女房が日ごろ親しくしている近所におすそ分けに配っている。

 そのご近所からも時々おいしいものを頂いている。釣りが好きな方からはイサキなどの魚や釣り宿からもらったという新鮮な海産物を頂いている。ワカメなどは女房がベランダで干して乾燥したものを小切りにし、みそ汁などに入れる。そのご主人が「これは刺身にして食べて下さい」と食べ方を教えてくれるのでその通りにしていただく。魚やイカなどをさばく仕事は以前は女房に任せきりだったが、最近は男が行うようになった。さばいたものは女房の指示通り小分けにして冷凍しておき、後日何回かに分けて頂いている。
昨日別のお宅から四国の金時芋を頂いた。早速女房が焼き芋器で焼いて出してくれた。ほくほくでおいしいことこの上なしである。田舎が薩摩の方からは薩摩上げなどを頂く。別のかたからは炊き立てのおこわを頂いたりする。

 米が余りそうなときは女房が子たちに他の物をあれこれ買ったものを一緒に梱包して送ってやっている。嫁たちから「助かります」などと感謝の電話が来る。

 真心をこめて品物やお金を贈ったり贈られたりすることは非常に重要なコミュニケーションの手段である。ただ儀礼的にやり取りするだけならしない方がよい。男の家には男の友人などから季節ごとに新茶や果物やそばなどが送られてくる。男も毎年お中元やお歳暮の時期には相手が喜びそうな品をインターネットなどで調べて注文し、贈っている。物を贈ったり贈られたりして、物が届く前とか物が届けられたとき相手と直接電話で話し、お互いの近況などを知る。九州の福岡と横浜に自分の家を持っていて年に何度か往復しているある友人から、「今度九州に帰ったらぜひ立ち寄って下さい」といつも言われているので、男は今度こそ途中下車して寄らせていただこうと考えている。

 男には北九州のある田舎で晴耕雨読の暮らしをしている別の友人からも「是非立ち寄れ」と言われている。男がそれらの友人を訪問するのは女房抜きでなければならない。女房も一緒に行くことを全く望んでいない。

 男は家伝書などの執筆のための取材も含め、ある時期には人生の締めくくりとして、せめて1週間か10日間の独り旅をしたいと考えている。芭蕉は旅をしたが、旅をすることによって何か得るところが多いであろう。芭蕉と違い独り旅であるが・・。