2009年7月21日火曜日

京都祇園祭(20090721)

 今からおよそ1100年前、清和天皇の時代の869年に京の都に疫病が流行したという。そのとき庶民の間に多くの病人や死者が出たという。人々はそれは牛頭天王(ごずてんのう)のたたりであると信じた。牛頭天王は仏教の守護神であり、日本の神道における神の一柱でもある。日本では素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合し、素戔嗚尊と同一神とされていた。しかしその起源は定かではないようである。

 京都の八坂神社は全国の素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社である。869年に流行した疫病を鎮めるために京都の八坂神社の前身である祇園社で66本の鉾をつくり、御霊会を行って祈願したという。それが京都の祇園祭の初めであり、山鉾巡行の初めでもあるという。

 男は女房と初めてその山鉾巡行というものを見物した。大阪に住む息子が会社の福利厚生施設であるTホテルに宿をとってくれて宿泊費は一泊一人1500円という安さであったので、ジパング倶楽部の3割引きの交通費で京都まで一泊旅行をしてきた。17日はその山鉾巡行を京都中心部で迎える日で、クライマックスの日であった。以前ものすごく暑い日にその山鉾巡行を見たことがある息子から「覚悟して来るように」と言われていたので二人とも相当覚悟していたが、その日は幸い曇天で、四条河原町通りの交差点では鴨川からの風が吹き抜け、涼しさを感じた。二人は交差点の特等席で山鉾巡行を見物することができた。

 その交差点で山鉾は向きを変えるのであるが、その前に八坂神社に向って拝礼する。四条通りから河原町通りの方に90度方向を変えるとき、前輪の車の下に水をかけながら竹の板を何枚か敷いて、竹を滑らせる要領で一方の車の回転をコントロールする。鉾の車の先頭に乗っている34人の音頭取りが一斉に扇子を振って行う合図で3040人の曳子が綱を曳き、3回位少しずつ方向を変えながら鉾車の方向を変えて行く。

 曳子の先頭に背の高い欧米系の外国人、曳子の中に混じって多くの外国人が曳き、鉾車の屋根にも乗っていて日本の祭りを楽しんでいる。この祭り世界に全く例のない日本独自の歴史と文化に基づく行事である。早朝の新幹線で京都まで行ったのであるが、初めに八坂神社にお参りして時間をとたったため、先頭の長刀鉾など数台は見ることができなかった。その長刀鉾は全員が外国人であるとインターネットで入手した資料には書かれてあった。

 祭りは見ていて楽しい。やっていて楽しい。山鉾巡行は平安時代からの古い伝統を守って、行列の先頭をゆく裃を着た偉い方々も曳子も皆古代の衣装である。重さ1012トンもある大型の山鉾でも車は平安時代の牛車の輪のように見える。木製っぽいが車軸などに一部鉄が使われているのかもしれない。山鉾の一つである船鉾の車輪と車軸は新調されたが、取り外したものは明治25年製だという。

 山鉾のうち、山と鉾は大きさが違うが、山でも鉾ぐらい大きな山もある。両者の違いは山には松が飾られ、鉾にはその柱の下方に榊が飾られていることである。山鉾は全部で62基ぐらいあるようであるが、昭和54年(1979)には、国の重要民族文化財に指定された京都祇園祭では毎年32基もの山鉾の巡行が行われている。京都の1000の歴史と共に歩んできた“町衆の文化”としての祇園祭りは再三の中止、再興を繰り返してきたらしい。

 男はこの祭りが毎年盛大に行われ続けることを願っている。祭りは一つの宗教的行事である。宗教的行事には一個の家の祭祀から国レベルの祭りまである。歴史の浅いアメリカ合衆国は大統領選挙とか独立記念日などを国家統合の行事として重要視している。