2009年7月14日火曜日

BSハイビジョン番組「命よ、ありがとう」(20090714)

 男のところに竹馬の友から電話があった。いまどき ‘竹馬の友’などという関係の友を持っている人は珍しいかもしれないが、その友が「最近ゴルフもいやになったよ。結果が思わしくなく、昔出来ていたことができなくなって若い子に負けてしまう。」と言う。その友はゴルフのハンディが一桁であった。かくいう男はゴルフをしたいなど全く思わない。昔現役のころコースに出たことは何度かあったが、大抵ブービーかびりけつだった。その友が「君はブログを出しているんだね。」と言う。男が自分のブログのPRを兼ねて暑中見舞いを出しから、その友は久しぶりに電話をよこしてきたのである。

 男は毎日ブログを書いているが、そろそろ趣向を変えてテーマを絞ったタイトルごとにブログを出そうと考えている。その理由の一つには時々女房と行く旅行のことがあるからである。ブログを毎日更新するとなると旅行中パソコンを持ち歩かなければならない。勿論予定投稿のシステムはあるが、男の操作方法が悪いのか予め決めた通りに投稿したものが指定した日時に自動的に公開されない。旅行中はパソコンから離れ、旅を楽しむことだけに集中しないと、一緒に旅をする女房も面白くないであろう。

 ブログを書くと言うことは自分の文章力の向上につながる。先日将棋の羽生名人の脳を調べるテレビ番組があった。名人の脳は同じことに集中し、何度も繰り返して行うことにより直観力が増すというのである。ブログを毎日書くということを1カ月以上も続けていると、確かにA4一枚の文章を書くのにそんなに時間を取らなくなった。精神活動も非常に活発になってきたと自分自身でも感じている。

 時間というものは誰にでも平等に与えられているものなので、その時間をどのように使うかは、その人の社会的立場や生活習慣などによって違う。男は社会的諸関係のために自分の貴重な時間を非能率的・非効率的に使いたくないと思っているので、老人会などの組織に加わりたいとは全く思わない。触れ合いも名誉も地位もいらない。男の場合、インターネットを使いこなせるからゴルフに関心がなく、男の竹馬の友のように「勝てなくなった」と嘆くこともない。淡々として自分の人生のゴールを目指して日々を送っている。

 昨夜女房と一緒にBSハイビジョンで「命よ、ありがとう」という1時間半の番組を見た。小児科医・細谷亮太氏が関わった小児がんの子供やそのご両親との日々ことを杉浦アナウンサーが聞いている番組である。一人の医師が子供の命を救いたいと願いながら、救ってあげることができなかった無念さや、健気にも闘病生活を送っていた子供の命が尽きたとき、後日その子供の両親と向かい合って時間を共に過ごしたときのことなどが伝えられた。

 男はこの先生は修行僧のように‘行をしている’と思い、感動した。涙が出なかったかと言えばうそである。タイトルの「命よ、ありがとう」の「ありがとう」の意味がよく伝えられていた。男は仏教信者でもないが昔読んだことのある法華経に、「仏は人々の心に応じて教化されるから仏には無量の方便がある」というようなことが書かれている。この番組自体も仏がこの番組を見ている人々を仏の道に教化する方便の一つであると思う。

 多分この先生は子供のころから両親に人生の生き方をいろいろ教えられていたに違いない。男は自分の母親が乳がんで33歳の若さで死んでしまったとき自分は医者になりたいと思ったことがあったが、その意思は続かなかった。男は母の死により仏から教化されたことが何であったか整理しておきたいと思う。そして竹馬の友にそれを話したいと思う。