2009年7月29日水曜日

麻生首相の失言(20090729)

 25日の某紙報道によれば、麻生首相は「60歳以上の人は働く能力があるが、働くしか能がない」と言ったとか。その報道が彼の真意を伝えているならば、彼は60歳以上の人たちの過去の人生に対する洞察が足りないと男は思う。60歳以上の人たちは、働き盛りの時自分の家に自分自身の部屋を持っていた人は少なかろう。今のようにコンピュータやインターネットも発達しておらず、遊ぶ場所も少なく、余暇に仲間とコントラクトブリッジやポーカーなどを楽しむという文化もなく、イギリスのようにあちこちにパブもなく、有るのはゴルフとか飲み屋とか金を浪費する遊びしかない時代を生き抜いてきた人たちである。

 男が「これは皆怒るよ」と言ったら、男の女房は「そうなのよ、麻生さんは裕福だったから一般の人たちの気持ちがわからないのよ。」とうなずいた。

 男は自分が詩吟を教えているサークルにHさんという明るくて大変元気なご婦人がいる。彼女は首都圏に近いある県の出で、先日高校の同級生たちと会った話をしてくれた。彼女のお友達の中にはご主人を亡くした人達が何人かいるし、ご主人を亡くしてから再婚はせずある男性と交際している人もいるそうである。皆、男の女房と同じ年の60歳以上である。Hさんの話によれば、皆それぞれ趣味を持っていて、生き生きと暮らしているということである。麻生首相の言うように「働くしか能がない」ということはない。

 60歳以上の女たちに比べ60歳以上の男たちは、家のことは女房任せで一家の大黒柱として一生懸命働き、現在の日本を作り上げてきた人たちである。麻生首相のようにクレー射撃などのように金のかかる優雅な遊びをする暇も金もなく、アフターファイヴに会社を出てから一直線にわが家に帰ることよりは、仕事の延長のように会社の同僚や取引先の人と酒を酌み交わし、週末も付き合いのゴルフなどに明け暮れる毎日を送ってきて、定年を迎えた人たちである。働くしか能がないのではなく、働くこと以外に趣味などに能力を発揮する時間的余裕も経済的余裕もなかったのである。

 男の周りにも最近定年を迎えた男たちが数人いる。その中のある方は一時期シルバー人材センターで仕事を貰って短い期間アルバイトをしていたが今は何もせず、定年後カメラの趣味を持ってときどきカメラを持って出かけるようである。ある方は趣味もなく、毎日ぶらぶらしているようである。60歳以上の人たちは働くしか能がなくても、働く場所がなかなか見つからない状況がある。麻生首相は多分そのような人たちの働く能力を、国造りのため活用したいというのが真意であろうかと思うが、実際はなかなか難しいことである。

 男のように若い時から合気道や詩吟などに親しむ機会を得ることができた人は少ない。女性たちは別として、60歳を過ぎた男たちが急に何か趣味を持とうとしてもなかなか難しいことであると思う。趣味もなく、働く能力があるので働きたいと思っても働き口がないという実情をどのように改善するかという視点がないまま、単刀直入にあのような発言をしてしまうと、反感を呼ぶだけである。
(このブログであるが、男は息子たちに言われて文章の長さを短くするようにした。)