2009年7月8日水曜日

都議選(20090708)

 都議選が始まった。各党は国政選挙の前哨戦とばかりに各党党首が街頭に立って演説をしている。各党の候補もそれぞれ主張を掲げて演説をしている。その中で麻生総理だけが「日本の安全」を訴えている。ほかの党や候補者は民衆に聞こえがいいことだけを並べている。国の安全よりも経済、生活、医療、福祉を強調している。

 男は孤軍奮闘する麻生氏にエールを送りたくなった。ソマリヤ沖でわが国の生命線を守るため頑張っているジャパン・ネイビーのことを軽視している党が革命のつもりでこれまで長年積み重ねてきたものをいっぺんにぶち壊し、そこから出発して国の安全も財政も考えてゆこうと考えているかのようである。一方で、国のありよう、国の安全保障のことは一切言及せず、地方分権のことだけを前面に押し出して一国の総理になろうとする輩も喝采を浴びている。男は腹が立って仕様がない。

 選挙の仕組みが悪いのか、国民の関心が国の安全保障よりも自分たちの日々の暮らしだけに向いているのか、国が国民を啓蒙しようとしないのか、いや啓蒙するころができる人物がいないのか、教育が悪いのか、とにかくフワフワした世情に男はいら立ちを覚える。かといって男は一般から見れば右翼的な主張をする人たちのグループに加わりたいとは思わない。たとえ加わったとしても、陣笠のただヨイショするだけの立場にしか過ぎず、また男も誰かにヨイショされる力など微塵も持っていないし、そうされたいと願望もしていない。男にとって何よりも自分の時間が大切であり、自分の時間を犠牲にしてまでも地位や名誉を求めたいとは一向に思わない。年のせいでもあるが・・・。

 ま、矛盾は時間が経てばおのずと解決されるものである。こうして男が思っているようなことを思っている人は潜在的に沢山いる筈である。いわゆる無党派層とされる人々の中にたくさん存在している筈である。そのような人々の間に形のあるネットワークはまったく存在していないが、‘集合的無意識’という目には見えない、人には認識できないネットワークはあると男は考える。心ある識者の中にはこの‘集合的無意識’を無意識のうちに共有している人もいる筈である。男はそう考えて苛立ちを解消することができている。‘集合的無意識’、これを考えたこともない人は多いかと思うが・・・。

 男は若い頃、よく行動したものである。亡父が男の弟に言ったことがあったそうである。「N(男のニックネーム)は、何をしでかすか分からない」と。男の血を引いているのか、男の息子たちはそれぞれ行動派である。中学校の頃は上級生を差し置いて生徒会長に立候補したり、それぞれ高校や大学の時自ら望んで海外に出て、1年間以上親の元を離れていたりした。女房は「子供は悔いが残らないように育てる、その結果子供が命を失おうとそれはその子の運命である」とよく言っていたが、一人の息子はたまたまテロで爆発した列車に乗っていて、途中で乗る列車を間違えたことに気がつき下車して命が助かったりしている。

 息子たちは仕事で海外を飛び回ったり、利害の異なる会社をまとめて共通目的の仕事を完成させたりしている。息子たちは父親である男が願望していてできなかったことを実現させている。命は代々繋げてゆくものでると考えれば、また、世間にいろいろ言いたいことがあってもすでに行動が伴わない年齢であることを自ら省みれば、年に一、二度、たまに息子たちに会ったとき、ビールでも飲みながら天下国家のことを話題にすることができることを大変幸せであると思わなければならないであろう。