2009年7月11日土曜日


ニュートリノ(20090711)

 宇宙空間にはニュートリノという物質が30%ほどあるそうである。これは電子よりも小さく中性であるため形のあるあらゆる物質をするりと通り抜けて、例えば男の体をすり抜け、男が立っている地球の内部を通り抜け反対側の地上に出てまた宇宙空間に出てゆくということである。

 そのニュートリノに質量があることを発見したのは日本人の科学者戸塚洋二という東大の先生である。彼は大腸がんで昨年他界された。彼は小柴昌俊先生に続きノーベル賞候補と目されていた。彼とは月とすっぽんほども違い、日々平凡な暮らしをしている男は岐阜県飛騨市にあるというカミオカンデとかスーパーカミオカンデという東大の研究施設のことを、宇宙から飛来する素粒子を観測する施設であるということぐらいしにか知らなかった。しかし国費を投入したこの施設でノーベル賞受賞科学者小柴先生がスーパーカミオカンデの前身であるカミオカンデで超新星が誕生した時に発生するニュートリノや太陽から来るニュートリノを捕らえ、世界をリードするニュートリノ天文学という学問分野を開拓されたということである。一方の故戸塚先生はそのカミオカンデやスーパーカミオカンデの建設を主導し、ニュートリノに質量があることを発見したということである。

 その戸塚先生が死の直前まで科学者としての目で自分の体内に巣食うがんの状況を計測し、グラフに描き、毎日ブログで公開していた。ブログには宗教と科学の関係についても自分の思うところを述べていた。その様子を男は女房と一緒に夜遅いテレビ番組で見ていた。

 自分の研究がまだまだ完成しないうちにこの世を去るというのはさぞ無念であったであろうと男は思う。ブログには自分の研究分野のことについて一切触れられていなかったようである。しかし自分の体内に巣食うがんのことを客観的に調べてブログに発表し続け、時には奥様が育てている花の写真を奥さまに撮らせたものも添えたりして人生の最後の日々を送っていた。男は残された日々を送った一人の世界的研究者の心中をあれこれ思った。

 番組の終わりごろ、ニュートリノをスーパーカミオカンデで観測するため戸塚先生の弟子たちが筑波の研究施設でニュートリノを発生させたシーンが紹介されていた。彼がこの世を去ってもカミオカンデ、スーパーカミオカンデの建設を主導し、ニュートリノに質量があることを世界で初めて発見した彼の偉業は永遠に語り継がれてゆくことであろう。

 テレビを見終わって男は、「人生には自分の力ではどうしようもないことがあるものである、しかし名誉は永遠に語り継がれてゆくものだ、女には関心がないことかもしれないが男は名誉に生きがいを見出すものである。」としみじみ思った。一緒にその番組を見ていた女房に男はそのようなことをぽつりと言ったと思うが、女房がその時なんと応えてくれたたはかよく覚えていない。

 名誉には現世だけに通用するものもあるが、後世に語り継がれてゆく名誉もある。後者の方が真の名誉であると男は思う。前者は名誉欲に基づくものであり、後者は無慾に、ただ正義や博愛や真理の探究のためだけに死をもおそれず行動して、結果的に人々から称えられ、後の世まで語り継がれてゆくものである。

 ところでニュートリノには質量がありこれが宇宙の30%を占めているため、137億年前に無から誕生したこの宇宙はいずれ膨張を停止して収縮を始め、何100億年の後には再び無の世界に戻るという。われわれはそのような世界に生きているのである。