2009年7月9日木曜日


郷愁のアメリカ (20090709)

 テレビのスイッチを入れたら、某俳優が女性と二人でアメリカを旅する映像が映っていた。ミシシッピー川上流アーカンソー州の米作農場地帯を車で訪れる映像である。左ハンドルでどこまでも道が続いている。男は映像から出るアメリカの匂いに心が沸き立った。
男は25年前、ある会社から技術研修生の一人としてロスアンジェルスに送られ、アメリカのある先端技術の会社で半年間研修を受けた。その後何度か出張でシンシナチやデンバーなどに行った。カリフォニアの運転免許を取得し、レンタカー会社に登録されていたので、出張先の同じ系列のレンタカー会社で車を借りれば手続きは至極簡単だった。「ミスターX。ウッデュライクハブセイムタイプカー?」とか何とか聞かれ「イエスプリーズ」とでも答えれば、男がいつも使っていたトヨタのカムリを借りることができた。レストランなどはクレジットカードで簡単に支払うことができたが、家庭用品などを買うときは確認のため身分証明書が必要であった。その時カルフォニアの運転免許証を店員に見せれば万事OKであった。その運転免許証は男が渡米してすぐ現地の試験を受けて取得したものである。

 ノスタルジアと言えばそれまでであるが、男は今にでもアメリカに飛んで行って、そこで暮らしたいと思った。合理主義者の男にはアメリカでの暮らしが性に合っていると思う。トーレンスという比較的安全な町の通りに沿ったところに2LDKのアパートが用意され、同僚と二人で借りて住んでいた。家具や車やアパート代やガソリン代や電話代などは全部会社持ちで、1日何10ドルかの手当てまで支給されていて、おまけに常識の範囲内の交際費や会議費を使うことができた。そのため非常に短い期間でアメリカの文化に慣れることができた。男たちのボスになるアメリカ人ご夫妻もよく面倒を見てくれた。

 ある日、日ごろ良くしてくれていたアパートの管理人の奥さんが病気で倒れ入院したとき、同僚と一緒に入院先の彼女を見舞ったこともあった。その時受付で彼女とどういう関係にあるか問われ、彼女が管理するアパートに入居している友人であるという説明をしてOKを貰い、彼女がいる集中治療室まで案内され見舞ったら、彼女は涙を流して喜んでくれた。

 初めのうちはなかなか慣れず、車を共有していた同僚をはらはらさせたがそのうちすっかり慣れ、2週間ほどあった年末年始休暇中女房が来たときも、その後大学の休みを利用してやってきた息子が来たときも、男が自費で別に借りた車でカリフォニア、ネバダ、アリゾナの3州をまたぐドライブをしたこともあった。この時は長距離なので途中3か所ホテルを予約し、そこで宿泊休養しながら本当に長い道のりを運転した。そのときの風景が、テレビに映った風景と重なり合い、男の心をかき立てたのである。

 しかし老齢となった男は運転免許証も手放し、もし仮に再びアメリカに渡りどこかに住所を登録して運転免許を得ようとしても、高齢なるがゆえ試験を受けることもできないであろう。若き日(?)は遠く過ぎ去って、懐かしい思い出だけが残っているのである。
漢詩に「尽日春を尋ねて春を見ず、杖藜踏破す幾重の雲。帰来試みに梅梢を把って見れば、春は枝頭に在って已に十分。」がある。平安時代の末期頃中国の戴益と言う人が作った詩である。この詩のとおり、幸せは自分のすぐ身近にあって、山の彼方の遠い空にあるのではない。男にはそのような思い出があることが大変幸せなことであると思う。
世の中には悲しい想い出、辛い想い出ばかりが浮かんでくる人のことがテレビに出ていた。本当に悲しい、痛ましいことである。同じ人の子であるのに・・・。