2009年10月2日金曜日

夢窓国師の作詞『修学』(20091002)

 男は来年の詩吟の会で使うテキストを作っており、西行法師の『至善』についても解釈を試みていることを前にも述べた。(関連:関連ブログ「至善(20090831)」)。この『修学』もそのテキストの中に収める詩である。この詩は次のとおりである。『夢中問答集』を読んで、夢窓国師がその詩をお作りになられた理由が少し分かった。(関連ブログ「修学 (20090915)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/09/20090915-800-2-1275-77-23-25.html 」)
  
修学 夢窓疎石

一日の学問 千載の宝  百年の富貴 一朝の塵
一書の恩徳 万玉に勝る 一言の教訓 重きこと千金

 男はこの詩を次のように解釈した。

  毎日、知識を深め、教養を高めるため勉強することは
その人個人の宝であるばかりでではなく、
千年後までも続き、後世の人々の宝となるものである。
何故なら、今生の人は来世に生きる人であるからである。
平家のように、
在る人の家の栄華が譬え百年続いたとしても、
ある朝突然転落してしまうこともあるのだ。

良い書物に出会い、
その書物を著わした人を師として
古の人に学ぶことは、
自分の生涯の宝となるものである。
師から賜ったたった一言の教えは、
今生を生きる自分にとって
誠に貴く重い言葉である。

人は今生だけに生きるのではなく、
来世にまた生きる存在である。
このことを肝に銘じ、
今生を真剣な思いで生きなければならないのである。

 仏教は輪廻転生を否定していない。今生の行いによって来世に人界に生れることが出来ず獣になる者もあるという。前世を記憶している人々のことについて催眠法や社会調査で科学的に調査されて本も出版されている。西行法師や夢窓国師のような高僧は多分ご自分の前世や来世を観ることができたのだろう。この世のことを合理的な思考法だけで考えることは間違っていると思う。