2009年10月26日月曜日

ジャズ喫茶、人生いろいろ(20091026)

 横浜の中区にはジャズ喫茶が40数軒もあるらしい。男はジャズにあまり関心がなかったので、男の家からそう遠くない所にそんなに沢山のジャズ喫茶があることにはちょっと驚きであった。ライブでジャズを楽しめるので一杯のコーヒー代もかなり高いのであろう。

 テレビで見ているとそこに集う人たちは50歳から60歳ぐらいの人たちが多いようである。ジャズのムードに浸り、多分心が癒されるのであろう。喫茶店内の雰囲気が心地よいのであろう。皆うっとりとして聴いている。そこに集い、他人と触れ合い、友達同士になる人たちもいるのであろう。皆淋しいのかもしれない。今生きているそのひと時が愛おしいのかもしれない。時の流れに感傷的になるのかもしれない。そこに集っている人たちの中には学生時代恋愛して一緒になり、50代、60代になるまでいろいろなことがあって、そこで夫婦の絆を確かめることができるのかもしれない。人生いろいろである。

 男の住むマンションにマンドリンを弾くことができる人が居て、週末になると楽器を持って何処かに出かける人が居る。その方の奥様の趣味はテニスである。御主人はマンドリンで屋内での趣味、奥様はテニスで屋外での趣味をそれぞれ楽しんでいる。多分たまに奥様は御主人が参加している演奏会に顔を出すであろうし、御主人もたまに奥様のテニスの試合に顔を出すのであろう。お二人が学生結婚だったのか職場結婚だったのか男は知らないし、知ろうとも思わない。ただ、夫婦それぞれ、人生いろいろと思うだけである。

 男は正直に白状すれば、これまでの人生で女房以外の女性と親しく付き合ったことが全くなかった、とは言えない。女房に時々言われることがあるが、男はつい口がすべって女房に「お前は不特定多数の一人だ」と言ってしまったことがある。本心は女房を一番愛していたのであるが、何かの不満でそのようなことを言ってしまった。それは女房を痛く傷つけたことであった。だから何かの拍子にそのことを思い出して男にちくりちくりと言う。

 男がこれまで曲りなりにでも何とかまともな人生を歩んでくることができたのは、全く女房のお陰である。女房はこれまでの結婚生活の間、男の愛をひたすら求めてきた、と男は思う。これは自惚れではない。それに対して男も女房に対して出来る限りの愛情を注いできた、と思う。男にとって女房は人生最大の宝である。これほど大きな宝はない。

 昔、武家の亭主は女房を目下のように見、女房は亭主に仕えるのが当たり前であった。男と女房の関係はそれほどまではなかったが、かなり上下関係のようであったと思う。一般に人に対して妻は夫のことを「主人」と言う。男の女房もそのように言っている。しかし家の中では男のことを「お父さん」と言っている。それたいして男は女房のことを「○○子」と名前で呼び、人前では「家内」と呼んでいる。

 ところが良く聞く呼び方は「うちのかみさん」である。男はこういう呼び方は好まない。そういう呼び方をしている人は家の中ではどう呼んでいるのであろうか? 多分「おかあさん」とか「ママ」とか「○○ちゃん」とか呼んでいるのであろうか?

 九州男児である男の家ではこれまで夫唱婦随で一本芯が通ってきたし、これからもそれは変わらない。老境に入った今、男は女房に対するこれまでの‘罪’を償うべく出来る限りのことをしているつもりである。それも義務としてではなく、心から愛していることの実践として、である。忙しくしている時、たまに不機嫌になって、女房に「やさしく言って」と言われてしまうことはあり、その都度反省するのであるが・・・。