2009年10月28日水曜日

子育てで苦悩している母親たち(20091028)

 テレビで不登校の子供を持つ母親の苦悩を報道する番組があった。社会の片隅で独り悩んでいる母親たちが意外に多いことを男は知った。男が若い頃は周りの人たちも皆豊かではなく、女房も周りの人たちとの触れ合いのなかで子育てをしていたが、今の母親たちは周りに自分を理解してくれる人もなく、独りで悩んでいるようである。そんな中ある一人の男性が母子集える場所、親と子供の居場所ともいうべき施設を開設し運営している。件の母親たちはそこに集い、自分の悩みをきいてくれるスタッフがいて救われている。

 今の世の中は、テレビゲームなど独りで楽しむ遊びが非常に発達していて、子供同士の触れ合いも昔に比べて少ないのではないかと思う。男が子供であったころは、村のがきどもが集まって山野や田圃や家の蔵や庭の木など遊ぶところが沢山あった。柿の木に昇って落ち大けがをしたり、いろいろ危険なことも多かったが、親たちは無頓着だった。男は小学校の高学年か中学校の1年生のときだったと思うが、友達同士でお互いに鉄橋の上を走る列車の客車のデッキから隣の客車のデッキに足を伸ばして移動しスリルを味わったことがあった。今なら大目玉を食らうところだった。裏の山で敵味方に分かれて小石を投げ合い、戦争ごっこをしたこともあった。もし投げた石が当たればけがをしたことだろう。木に当たった石が跳ね返って飛んでくることもあった。男の眉間に小さな凹みがあるが、これは山を駆け下りていて竹の根っこにぶつかり転んで竹の切り株で打ったときできた傷である。幸い防寒帽をかぶっていたので大きなけがにはならずに済んだ。

 今から178年前だったと思うが男が前立腺がんの手術を受ける前に、がんが骨に転移しているかどうか全身のレントゲン写真を撮られたことがある。そのとき肋骨に黒い影があって、主治医は「以前肋骨の骨折をしたことがありましたか?」と聞かれたことがあった。そのとき思い当たったのは、男が小学校3年生のとき教室の中で暴れまわっていて壁から突き出ている木材の突起にぶつかりしこたま胸を強打したことがある。痛さを我慢して授業を受け、下校時間になって家に帰ってから一層痛みがひどくなり、祖母に治療してもらったことがある。母は数か月前(12月)に乳がんで他界していた。祖母は母親を失った10歳の男の子を憐れんでいたに違いない。治療と言っても祖母は小麦粉を酢で練ってそれを油紙に伸ばし、それを男の胸の痛む所に貼ってくれただけであった。その日は夜寝付かれないほど痛みを感じていたがじっとしていた。そしたら翌日にはもう痛みが引いて、普通どおり学校に通った。その時の痛みは肋骨の骨折が原因であったのだ。今なら親はあわてて医者に連れて行くことであろう。その当時町に医者は少なく、医者といっても整形外科医ではなかったと思う。祖母は痛がる男の子の胸をさすり、最良の治療をしてくれたのである。祖母は子供時代の男が目にゴミが入り痛がっていたとき、自分の舌でそのゴミを取り除いてくれたこともあった。男は子供時代相当腕白であったと思う。

 今の時代、子供は過保護なほど大事にされている。その一方で親同志のコミュニケーションは薄く、付き合っても心から打ち解けることはなく表面的で、母親たちは皆孤独なのだと思う。それだけに、親も子供も居場所が十分でないのだと思う。居場所がないと欲求不満がつのり、自分が一番安らかに感じる場所に閉じこもったり、居場所がない者たちが群れを作って、その中で安らぐようになる。これは社会的問題である。男は、鳩山新政権は次代を担う若者や子供たちの居場所に深い関心を持ってもらいたいと思う。