2009年10月19日月曜日

写真の整理(20091019)

男は暇だからできることではあるが、自分と女房の若い時からの写真をコンピュータで整理している。コンピュータにPhotoStudioというソフトを搭載していて、デジカメなどで撮った写真のほか、スキャナーを使って田舎の家にあった古い写真を取り込みPhotoStudioで切り取った写真を拡大して保存したりする。

写真は男の良い写真、女房の良い写真、二人の良い写真、家族の良い写真、男の子供の頃や青年期の写真、女房の子供の頃や乙女の頃の写真、あの世に逝っている親父や母や祖父母の写真、と言った具合に区分してコンピュータに取り込み、DVDMOなどに記録するほか、一部のものはインターネット上のアルバム、ウエッブアルバムにも保存している。

ウエッブアルバムに保存したものは限定公開で、保存しているURLを知っている所だけがそれを見ることができるようになっている。とはいってもこれについてはプライバシーは完全には守られないだろう。もし男でも女房でもあの世に逝った時は、家族はウエッブアルバムから葬式用写真を取り出すことができるようになっている。

女房の実の祖母、女房が子供時代に親代わりになってくれた人が97歳であの世に逝ったときは、その人が婦人会の会長などいろいろ地域の世話役をしていたせいもあって葬式には国会議員や県会議員なども参列し、盛大であった。そのとき静止画ではあったが映像と音楽とナレーションと共に、その人の在りし日の様子が大型スクリーンに映し出されていた。男はそのとき詩吟はまだ上手ではなかったが自分で伴奏をしながら弔吟を行った。

男は自分や女房の葬式の時に使うそのような写真集を事前に準備し、ナレーションで語ってもらいたいことについて素案を予め文章を作って置こうと思う。男も女房も自分の葬式はごく内輪だけの質素なもので、実のあるものを望んでいる。また男自自身いわゆる名士ではなく、老人会や町内会などにも入りたいとも思わず、社会的諸関係を断っているので知らされなければ葬式にくる人もいないであろう。

そういう内輪だけの葬式のとき42インチ程度のフラットテレビ画面で男や女房の在りし日のことを遺された家族たちが映像と音楽で偲ぶようなことを予め用意しておくのである。その時がこれから10年先なのか10年以内なのか、或いは30年前後先なのか予測はつかない。しかしその時は必ずやってくる。

世の中には自分の‘その時’を考えていない人は多いだろうと思う。昔の侍は家を出る時再びその家に生きて戻ることが無いかもしれない、といつも自分の死と隣合わせに生きていた。『葉隠』に「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の言葉がある。この言葉の真の意味は、必死の思いで忠勤に励むべきことを述べたもので、生きるべき時は必死に生き、死ぬるべき時は必死に死ぬることだと男は思う。この『葉隠』には現代のビジネスマンにも通じることが書かれている。

自衛官(男は‘軍人’と呼びたい!)や警察官や海上保安官や消防官などは「身の危険も顧みず任務を遂行することが求められ、実際に任務遂行中に命を落とした人は多い。「上を向いて歩こう」の坂本九が死んだ日航機事故ではパイロットやスチュワデスたちは死を覚悟しながら最後まで任務を遂行した。フライトレコーダーにパイロットとコーパイロットの会話のやり取りが記録されていたが彼らは最期まで冷静に対処していた。
死はいつやってくるか判らないのだ。一期一会こそ本当に大事な心がけである。