2010年3月14日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(51(20100314)

 今日(13)は気温20℃、これまでになく暖かい。今年は梅の花を見に出かけることは出来なかったが、テレビを見ていたら青梅の里で美しい梅園があり10万人が訪れるという。農家の主婦が軒先を観光客のために開放していて観光客に湯茶のサービスをしており、毎年同じ人が訪れるという。女房は「行きたい!よさそうな人のようなのであの人懇意になりたい。」という。「じゃ明日行く?」と問うと、体調次第で行きたい様子。男は今日は夕方から詩吟なので明日調子がよければ横浜線経由で行くことにした。

 クータン(クーが名前であるがクーたんとかクーちゃんと呼ぶ。)はわが家にすっかり慣れ、一層可愛い。毎朝7時前、午後2時過ぎ、夜10過ぎに散歩に連れ出す。糞を始末するための小さなビニール袋とトイレットペーパーの切れ端を持ってゆく。「クー、行くぞ。」と言えば引き綱を両前足にかけることを心得ていて片方づつ足を上げる。引き綱は背中のところで固定具に固定し背中のほうから引っ張る形である。午後、ソッファのところから食卓の方を見て何か言っている。行ってソッファに横になると早速私の腕の中に入り気持ちよさそうにしている。眠くなったらしく欠伸をしたり目をつぶったり、上向きになって足と手を延ばしたりしている。女房が写真にとって携帯メールに添付し、大阪に行っている嫁に送ってやった。嫁は月曜日に帰ってくる。

 昨日はクータンを散歩させながら河原の道の脇などに散乱しているゴミを拾った。そのきっかけは小学校の児童が先生に連れられてゴミ拾いをしているのを見たからである。たまたま薄汚れた大きなビニール袋が落ちていたのでそれを利用し、ゴミを集めた。いつも誰かがゴミ拾いをして美観を保っている。ジョギングしている人たちも気分が良いであろう。

 これまでブログには自分の個人情報を出すことを局限していた。しかしブログを出す目的がより明確になったので、自分のプロフィールをちょっと詳しく書いた。そうしたらこの地域、横浜市鶴見区のGoogleブロガーを簡単に検索できることが分かった。自分の写真をはっきり出しているブロガーはいないので、こうして自分のプロフィールと顔写真を出した以上、自分もある程度‘公的’な存在となったことになる。公開するブログの記事にはよく注意を払い、責任をもたなければならない。ただ、女房の方は自分が公になるのは嫌であると思っているのでその辺の配慮は十分必要である。

 ブッダ「真理のことば」第二十四章は「愛執」である。ここに書かれている言葉は、殆ど「愛欲」とか「執着」とか「快楽」とか「歓楽」である。人間の性欲に根差す、人間の根源的な欲望をどう克服するかについて説かれている。

 国民新党の亀井氏や沖縄県知事が沖縄にカジノを誘致し、沖縄の経済を潤すことを提案している。カジノは歓楽の場である。そのゆえに精神的な病に陥る人も出てくるので、専門の病院も併設するなど、その対策も考えなければならない。

341 人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤される。実に人々は歓楽にふける。楽しみをもとめて、生れと老衰を受ける。