2010年3月10日水曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(47(20100310)

 わが家に昔「タロー」と名付けていたヨークシャーテリヤのオスがいた。14歳余りと言う比較的短命で死んだがその犬を女房はとても可愛がっていた。男は犬があまり好きではなかったがまあ普通に世話はしていた。好きでなかった理由は「犬の臭さ」にあった。

 男が会社の研修でロスアンゼルスに半年と1週間ほど滞在中、友人の家によく遊びに行っていたが、そこでは中型の犬を飼っていた。犬は放し飼い同然で、トイレは自分で勝手に外に出て、どこかで済ませてきていた。帰って来ると陰部は濡れた汚れたままであり、足の裏は土で汚れている。その犬は外から帰って来ると居間のソッファに座っている男の膝に上がって来たりしていた。男はズボンを汚されたが余り気にしていなかった。

 ところが日本に帰ってきて暫くして長男が生後2カ月もしないヨークシャテリヤのオスを貰い受けて来た。血統書つきだったが2万円という安値であった。その子犬はカーペット敷きの床の上や休んでいる私のベッドに上がってきてベッドカバーの上などにおしっこをしていた。当時子犬のしつけ方は知らなかった。アメリカでの生活に比べ、家の中は狭いせいもあって、アメリカに居たときのようにはできなかった。

 そのタローが老衰し、白内障になり、田舎に帰るため犬のホテルにその犬を預けるべく車で連れて行く途中、車内で糞をたれたりして世話が大変になっていた。男のベッドカバーの上におしっこをしたり、車の中で糞をたれたりしたのは、今考えてみれば犬の欲求不満の表現であったのだろうと思う。

 もう犬は飼わないときめていた。今後15年以上犬の寿命があるとすると、自分たちが老いたときの犬の世話が大変であることが一つの理由であった。ところが埼玉に戸建ての家を構えている長男がまたタローと性格も毛並みの色合いも良く似たチワワを飼った。「クータン」と言う名前のオスである。このチワワは性格が大人しい。そして小太りで毛並みは黒と茶色である。目は飛び出していない。まるで「タロー」の生まれ変わりのようである。

 その家族が仕事や旅行など皆それぞれ出かけ家を空けなければならなくなったので、1週間ばかりわが家で世話をすることになった。今時室内犬の世話は楽になっている。排泄で外に連れ出しても陰部など拭い、足の裏を拭うのは手間がかからず楽である。消臭剤もいいものがあり、臭気の元の分子構造を変えてしまうらしい。クータンは私にもよくなつき、夫婦二人、特に女房はクータンから癒されている。家族が増えた感じである。

 かつて男はタローのことで女房に悲しい思いをさせてしまった。その償いの気持ちは勿論ある。しかし男自身も変わった。クータンに顔や手をなめまわされても気にはならない。考えてみれば、男が子供の頃、家に猫が飼われていたが、その猫はざらざらした舌でよく男の手などをなめていたし、冬の寒いとき外から帰って来て汚れたまま男の布団の中にもぐりこんで来ていたものだった。子供の頃の自分に戻ったということである。

314 悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば、後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうがよい。なしおわって、後で悔いがない。