2010年3月15日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(52(20100315)

ある米国籍の友人からメールが来た。わが国の調査捕鯨を違法な行為で妨害しているシーシェパードの活動について「シーシェパードの船長はヒーローと思われていると思う。アメリカの全人種を含めてのほとんどのアメリカ人は、過激な平和運動家や自然運動家を嫌うが、人種をからかう場合は別である。そのように他の人種をからかいたい変な運動家にとって、日本は最高の標的だと思う。妨害しても命の保障はあるとなめられていると思う。」いう内容である。
悲しいかな、人には私自身も含めて「他人を差別したい」心理がある。そのような心理が無ければ競争心は生れない。競争のない社会は活気がない。学校でも会社でもその中で競争がある。そして自分が他人よりも優れていたいと思う。
そのような競争心はグループ同士、学級同士、学校同士、会社同士、社会同士、国同士の間にもある。グループの中で競争し合っていても他のグループと対抗心を燃やす。国同士でもその規模が大きいだけで、対抗心の点では全く同じである。この場合、対抗心は警戒心にもつながる。警戒心だけで収まらず敵対心となり、戦争になる場合もある。
小さな蟻の世界から生物としての人間の世界まで、「他に優越しよう」とする行動は変わらない。それは生き残ろうとするための行動である。自己を保存しようとする行動である。当然その行動は差別を生む。競争に負けて落ちこぼれる者が出てくる。
偽善的博愛主義者は差別をする側の人間、社会での勝者を、自分自身では知ることが出来ない自分自身の深層心理のところでは礼讃していながら、「平等、公平、差別反対」と口にする。しかしそのような偽善的博愛主義者もいなければ社会的弱者は救われない。悪いことをする人間が居なければ善いことをする人間が称賛されないのと同様、社会のあらゆる物事には表と裏の、正と負の、陽と陰の、高と低の二面性がある。
シーシェパードの船長は、世界の人口の何パーセントの人間からヒーローとして称賛される一方で、その行動を厳しく非難する人たちも多いであろう。当の船長自身も日本に連れてこられてそれまで気付かなかったことに気付くだろう。
日本人は心根の優しい国民である。外国人に対して親切な国民である。一時期自存のためにやむを得ず武力を行使し、663年の白村江での敗戦同様の惨憺たる負け方をし、何百万人という犠牲者を出してしまったが、今日世界に冠たる国にまで成長して今や日本一国だけで「自存」のための行動をとる必要はなくなった。しかし、もし今後日本が沈没するような状況にでもなれば、再び日本は自存のため立ち上がらなければならなくなるかもしれない。そのようなことが決して起きないように、われわれは優れた政府を持たなければならない。そのような政府を修行僧と見立てて、「真理のことば」第二十五章「修業僧」;
372 明らかな智慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな智慧が無い。精神の安定統一と明らかな智慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。

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